わたしの道徳 「もしもボックス」
〜 骨折のない世界 〜

2007/12/30 Hiroshi Ikarashi


 人間の骨が、鉄のように頑丈で、決して折れることがないと仮定します。

 車に轢かれても、骨が強いので、何のことはありません。
 上から鉄板が落ちてきても、頭蓋骨と頸椎が完璧に頭を護ってくれます。
 とりあえず、病気以外で死ぬことはなさそうです。

 ところが。
 ある時、貴方は足に怪我をします。
 誰かが救急車を呼んでくれて、貴方は病院へと搬送されます。

 すると、意外なことが判りました。
 貴方の足は、折れていたのです。
 この世で貴方一人だけ、運悪く、骨の折れる珍しい体質である事が判りました。

 お医者さんたちも困っています。
「骨が折れた」という事例がないので、どういった処置を施すべきか悩んでいます。

 兎に角、貴方は痛くてしょうがないので、痛みを抑えてくれ、と頼みました。
 幸いにも、内臓の手術の為に麻酔が存在していたので、それを注射してもらいました。

 引き続き、お医者さんたちは真剣に悩んでいます。
 骨が折れた場合、どうすれば良いのか。

 そして、
「人間なのだから、ある程度の治癒力は持っているだろう」
「固定しておけば、そのうち接合するのではないだろうか」
 という結論に達しました。

 でも、具体的に何をどうすれば良いのか。
「足に木製の棒を添えて、布や紐で巻き付ければよいのではないか」
 という意見が出されましたが、やってみると、貴方は悲鳴を上げます。
 痛くてたまりません。

 すると、美術に詳しく、彫刻や粘土細工の趣味を持つ医師が、
「石膏を利用すれば、固定する事が出来るのではないか」と、提案しました。
 周りの医師も、それに同意しました。

「石膏を周りに沢山塗るから、固まるまで辛抱して欲しい。
 痛いと思うから、注射をしておく。それでも辛ければ痛み止めの薬があるし、
 固まってしまえば、後は身体を休めていれば治ると思う。」

 という訳で、処置が施されました。
 最初は違和感も痛みもありましたが、石膏が固まり、足を上から
 つり下げてもらうと、かなり楽になりました。
 貴方は、自分が珍しい体質であった事を嘆きましたが、
 死なないだけ良かったと納得しました。

 会社には、病院の人が事情を説明してくれていたので、上司も
「まあ、色々大変だろうけど、ゆっくり休め。治ったら、また出てこい」と
 言ってくれました。

 数週間が過ぎました。
 内臓の様子を診るためのレントゲンで足を検査すると、
 骨がかなり修復されてきているのが判りました。
 お医者さんたちにとっても初めての経験でしたが、みんな、
 人間の自然治癒力に感心していました。

 だんだん、病院のベッドが退屈でしょうがなくなってきました。
 お医者さんたちも、これなら家に戻っても大丈夫そうだと言ってくれました。
 ただ、歩くのにはまだ支障があります。なので、看護士さんも含め、一同、
 どうしようかと悩みました。

「そういえば、病院の屋上に、使ってない物干し竿があるじゃない。
 あれを切って、なんとかすれば、歩く時の支えにならないかしら?」
 貫禄たっぷりの婦長さんが、生活の知恵をはたらかせました。

「そうですね。じゃあ、僕にやらせて下さい」
 日曜大工が趣味で、腕に自信のある薬剤師さんが、ちょちょいのちょいと
 物干し竿をいじり、面白い形の支えを作りました。
 見た目は変でしたが、これなら家まで帰れそうです。

「いろいろとお世話になりました」
「いえ、こちらこそ」
「頑張って下さいね」
「またお世話にならないようにね!」
「あはは」

 貴方は、御礼を言って病院を後にしました。
 いきなりは厳しそうだったので、タクシーを利用しました。

 職場の上司に電話をすると、
「おお、そいつぁ良かった。今こっちも大変でさ、一人でも出てくれれば
 有り難いんだよ。じゃあ、明日から宜しく頼む」
 と言ってくれました。

 次の日、必死にスーツを着て、貴方は家を出ました。

 病院の人が作ってくれた物のおかげで、のんびりではありますが、
 通い慣れた道を歩くことが出来ます。

 ふと、目線を感じます。

 周りを見回すと、駅へ向かう人達が、こちらを見ています。

「なあに、あの人」
「さぁ。何だろう」

「なんか、足が変だよ」
「片方だけ、動いてない」
「変な物につかまって歩いてる」

 子供が、貴方を指さして、こう言いました。

「ママー、あの人、なんなの?」
 お母さんらしき人が、ハッとした様子で子供の手を押さえ、
 貴方を見て、引き攣った笑顔で会釈しました。

 なんとか駅までたどり着き、階段を必死で上り、下り、ホームまで来ました。

 電車が入ってきます。

 沢山の人が乗り込みます。

 貴方も乗り込もうとします。

 声がしました。
「早くしろよ」

 睨まれています。

「ウゼえな、邪魔だよ」
「何だよ、お前」

 迷惑をかけているのは仕方がないのですが、端に寄ろうとしても、
 上手く移動出来ません。

「早く! 奥、詰めろよ!」
 車内の雰囲気が悪くなりました。

 電車は走り出しましたが、なんとなく冷たい空気を感じます。

 肩身が狭いです。

 足は痛くないのですが、視線がとても痛いです。

 心が痛いです。


 それが、骨折のない世界です。


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