世にもビミョーな物語 13頁 No. 121〜124

← 前頁へ 研究所入り口へ戻る 次頁へ →


  1. いきものこわい 2012/07/18
  2. ライブ・スターの喜劇 2019/05/28
  3. 区切り人生 2019/12/20
  4. 睡眠薬のワナ 2020/08/27
  5. 善行/悪行 2020/12/31

いきものこわい


 新譜というのは、あまり聴かない。頻繁にCDを買う事もないし、ラジオも聞かない。歌番組はあまり見ない。手持ちのiTunesでは、80年代の洋楽とギターミュージックばかり好んで聴く。結局、新しい歌ものには縁がない。
 そんなワシであるが、昨年、“いきものがかり”の「YELL/じょいふる」を買ってみた。目的は後者。グリコポッキーのCMソングで流れていて良い感じだったもので、珍しく新譜として聴いた。ノリノリだ。

 で、曲の感想を、というわけではない。ワシはつい最近まで、“いきものがかり”のことを大きく誤解していたのだ。一般的に、小学校などで小動物を飼い、その世話をするのが”いきものがかり”なのだろうが、ワシは違った。

 最初にこのユニット名だかバンド名だかを聞いたとき、反射的に怖いと思った。

 ワシの頭の中の連鎖。
 「いきもの」→「もののけ」→「生き霊」→「憑(つ)きもの」→「きつねつき」
 「がかり」→「神がかり」→「憑依」→「悪霊」→「怨霊」
 「いきものがかり」→「生き霊の憑依」→「たーたーりーじゃー」

 わーらーうーなー。
 今でこそなんとも思わないが、前は怖かったのだ。よくもこんな怖い名前つけるよなぁ〜。よっぽど深い理由があるのだろう…などと、真剣に思っていたのだ。怨霊背負ってるなら中島みゆきだろう、というツッコミがありそうだが、勝手に“世にも奇妙な3人組”にしてしまっていたワシの、トホホな話であった。
 最近、いや、だいぶ前から更新されないまま放っているこのサイトだが、一応気にはしているので、今後ともよろしゅうに。


  研究所入り口へ戻る 物語一覧に戻る ▲

ライブ・スターの喜劇


 昨日買ったDVD。 「GO-BANG'S ON STAGE. 1989-1990」。
 ワシは、ゴーバニストである。森若香織のオールナイトニッポン(火曜2部)も、高1の頃、目の下真っ黒にしながら毎週のように聴いていた。

 ワシが16歳で上京し、初めて観たライブは、1989年5月10日、ゴーバンズの渋谷公会堂。この渋公ライブは、彼女らにとって初のホール展開となる記念すべきもの。あれからちょうど30年、このDVDは、その時の模様を収録したものである。ちなみにDVDの後半、翌年の武道館の映像も入っているのでおすすめ。

 で、とにかく観てみた。森若香織、谷島美砂、斉藤光子。全員若えぇ〜。あの日の記憶が一瞬にして蘇り、涙もちょちょ切れるほど懐かしく、また嬉しかった。

 ところで、このライブの序盤で森若ちゃんに「あるハプニング」が起きるのだが、やっぱりというか結局というか、DVDではカットされていた。念のため、Google等で検索してみたが、その出来事は出てこなかった。なので、30年の祝いとして、ネタばらしする。

 予備知識:このライブにあたって先行発売されたゴーバンズのニューアルバムは「SPECIAL I LOVE YOU」。その中に「ショートカット・ラブリー」という曲があった。※歌詞は、検索すれば出てくる。

 ライブのオープニング。メンバー(サポート除く)3人とも、意外とチープなファッションで現れた。“グラナダ”こと森若ちゃんは、トレードマークの長い髪を左右に編み込み、キュートなおさげをぶら下げ、くどい笑顔で(←笑うとこ)ステージ狭しと駆け回っていた。
 そして、何曲目だったか覚えていないのだが、森若ちゃんの頭から、何かが落っこちた。

 …それは、おさげの片方だった。

 記憶が定かでは無いが、なんとかそれを拾い、どうにか一曲歌った…と思う。もしかしたら、ステージ袖に、一度引っ込んだのかも知れん。

 曲が終わり、森若ちゃんがしどろもどろに言った。

「みんな! みんな……、何も、何も見なかったよね? ね?ね?
 何 も 見 な か っ た よ ね ?」

 メンバーはどうにか体制建て直し、ライブを続けた。そして、幾度かの衣装替えの後に現れた森若ちゃんは、ゴールド系のゴージャスなフレアースカートを身にまとい、見事なショートカットだった。ぶっちゃけ、サプライズに失敗したのだ。
 途中まで、いつものロングヘアーだったのが、一気にショートにして驚かせてしまおうという計画。ヘアメイクさんや他のスタッフの人達も、その瞬間「ヤベーーー!」と思ったかも知れないが、そこは森若ちゃんのキャラ。「楽しけりゃいいじゃん!」だ。メンバーも観客席もハッピーだったと思う。

 これが事の顛末なのだが、あの時の森若ちゃんのオロオロとドキドキ。30年前の出来事を、ワシは決して忘れない。生涯ゴーバニスト。永遠にゴーバニスト。


  研究所入り口へ戻る 物語一覧に戻る ▲

区切り人生


 いよいよ暮れも押し迫り…って、今年なにをやったかと聞かれりゃ肩身の狭い男です。

 2019年。世間様では、平成から令和へ、という大転換が一番大きいものではなかっただろうか。ワシの場合、子供の頃から今に至るまで、かなりの転機というか「区切り」があったのを思い出す。

 まず、通っていた小学校。ワシが4年生の時なのだが、なんと学校が創立100周年ということで、式典のようなものが開催された。これはこれで、毎年ヒネりのない、ありふれた卒業式とはまた違った趣があり、心に残るものとなった。
 ワシがインパクトを受けたのは、100周年のために、教頭(だったかな)の金子先生が祝いの詞を書き、音楽担当の高井先生が作曲をし、記念の歌が創られた事である。子供ながらに、作詞/作曲って凄いんだ〜、と感銘を受けた。

 そして小学校を卒業し、すぐ横にある中学校へと入学した途端、「来年度、校舎が移転します」というビッグな出来事があった。
 暗くておどろおどろしい校舎から、150メートルばかり隣りに新設された、ピッカピカの新校舎に丸ごと移転。3学期も終わりのわずかな期間に、先生も生徒も大移動した。特にワシら1年生、主に男子はこの珍事に狂喜し、旧と新とを何往復したか忘れるほどに、楽しいお引っ越しをした。

 今度は中学3年生の春、ワシの父上が、県議会議員選挙に立候補し、めでたく当選した。友達たちも喜んでくれた。まあ、良いことばかりではないが、とにかくワシにとっても大きな精神的区切りとなった。

 すると1989年、昭和天皇崩御により、平成がスタートした。既に東京での一人暮らしを決心していたワシだったが、これにより昭和=新潟、平成=東京という、より大きな区切りとなった。
 そしてワシは上京し、とある学校に入った。様々な事を巻き起こし、多方に迷惑やらなんやらかけまくり、3年を過ごした。若かった…。しみじみ。

 今度は学校卒業後に入社したコンピュータ関係の会社の2年目。会社が創立10周年だということで、社員旅行が羽振り良く、オーストラリアに行ける事になった。目出度い目出度い。

 ちょいと話がそれるようだが、ワシは昔、ゲーマーであった。30を過ぎると意欲がなくなるのだが、ちょうどスーファミが出て少し、という頃に出会ったのは「Sim City(シムシティ)」。
 陸地と川の他、なんにもない、だだっ広い土地に、私(主人公)は市長となり、発電所や工業地帯、ビジネス街、住宅地を造り、道路や線路をひいて、町を繁栄・発展させてゆく、シミュレーション・ゲームだ。ワシはこれが大好きで、Macを最初に買った時、一緒に「Sim City 2000」も購入して遊んでいた。

 でだ。このコラムを最初の方から読んでいる人は先が見えているだろうが、その後にビックリ仰天な出来事が待っているなどとは、当時のワシは微塵も思っていなかった。

 その仰天は、1998年にやってきた。
「Sim Cityを嬉々としてやっていたワシ」の、父上は、なんとリアル市長になった。
「シムじゃねぇよ!(春菜風)だ。ガチ市長。

 今度は20世紀から21世紀への大転換。2000年問題。子供の頃にノストラダムスの予言書のような物であれこれ夢みていたワシも、本当に世紀をまたぐ事になったかと、複雑な思いがした。当サイトでも、への1号君の部屋に行くと、当時のドタバタが解る。

 これで終わりではなかった。
 父上の市長在任中、「平成の大合併」が来たのだ。大嵐だ。
 おとなりさまのM町と、ワシが暮らしていた市が合併し、現在の市………ええぃもういいわ! 2006年、新制「五泉市」となった。スーファミのSim Cityには「市町村合併」は無かった。
「シム超えちゃったよ!」 どーする?

 そして父上は、旧から新まで、3期にわたって市長を務めた。
 ワシは……、まあ、いろいろあった。今もある。

 そして、とうとう令和が来た。またしても元号、またいでしまった。不謹慎に思われたら謝罪させて頂くが、ワシが生きている間に、もしかするともう一度、元号をまたぐことに“ならない”とは言い切れない。まあ、そんな事を言う前に、陛下のご健康とご長寿を祈りたい。

 ひょっとしてひょっとすると、まだ忘れていた区切りがあるかも知れんが、これほどまでに環境が変化するなどとは、思いもしなかった。

 実は…このサイト……、ワシもいい加減やめy………うっそー。やめないよ。
 年に数回しか更新されなくとも、地味でも、中身薄くとも、これだけはやめるにやめられないのだ。コンテンツも、主に著作権問題により、20年前とは全く違うものとなってしまっている。でも、楽しい。あっちがダメならこっちがあるさ、こっちがダメでもそっちがあるさ、である。

 実はワシ、TwitterもBlogもFacebookもInstagramも、何もやっていない。加入すらしていない。天の邪鬼だが、それでも楽しいのだ。超ローカルで超アナログな手作り(手抜き?)サイト、もうしばらくは続けようかと思いながら、今年一年の締めくくりとさせて頂く。…とか言って、また変なコンテンツ増やすとか、あるかも。

 また来年。良いお年を。


  研究所入り口へ戻る 物語一覧に戻る ▲

睡眠薬のワナ


 ついこないだ、40と何回目かの誕生日を迎えたものの、相変わらずマイペースで続くこのサイト、じゃなくて研究所。今年で22年目。このところ、新しい項目が増えたりもしているが、行き当たりばったりである。

 思い出したように、コラムを一つ。睡眠薬のお話。

 ワシが睡眠薬を飲むようになったのは、中学3年生の春であった。色々あったから、飲むようになったのだ。
 初めて処方された薬を服用した夜のこと。薬を飲んでしばらく経つと、「ぐらり」という、よろめきと脱力感と若干の気持ち良さのようなものが、一度にやって来た。「あ、これってもしかして睡眠薬のせい?」とか思っていた…ら……気づけば朝だった。

 向精神薬なんて飲んだ事がないという人が同じ薬を飲めば、おそらく似たような効果を感じると思う。だが、睡眠薬は、ただ眠くなったりハイになったりするためのものでは決してなく、毎日の睡眠リズムを整えるための、補助としての存在なのである。乱用は以ての外。やたらに真似するもんではない。
 間違っても、怪しげなネット掲示板で「どこそこの@@病院へ行くと、ホイホイと薬を処方してくれるよ」みたいなのを読んで、実行に移すのはナシでお願いします。責任取れないので、どうかひとつ。

 話が逸れたが、まあそういう訳で、睡眠薬とは長いつき合いなんである。

 ワシにとっては頼りになる薬だが、悪い面や、困った事もある。
 だいぶ前からこのコラムに出てくるように、ワシは根っからのサウンドノベル好きで、若い頃からあれこれ遊びまくってきた。「弟切草」「かまいたちの夜」「街」「夜想曲」「魔女たちの眠り」「夜光虫」「月の光」等々。

 仕事から帰ってきたら、即、夕食を食べて入浴し、歯を磨いたら準備万端。テレビに向かってサウンドノベルを始める。お酒は体質的に飲めないが、極楽タイムのスタート。で、それなりの時間になったら、睡眠薬を飲み、もうちょっとゲームをプレイし、眠くなったら寝るのだ。

 ところが、始める時間が遅かったり、眠気に逆らって遅くまでノベルをやっていたりすると、記憶が飛ぶのである。
 プレイ中は、「ええっ! ○○が××を殺したのは、そんな裏があったのか!」などと興奮して喜んでいるのだが、そのまんま最後まで行って劇的なエンディングを迎えても、どんどん薬は効いて、どんどんストーリーを忘れていく。
 なので翌日、「あれ? このシナリオ、見たような気がするけど、何がどうしてどうなったんだっけ? …あと、何か大切な告白をされたような気がするんだけど、何かあったっけ?」

 睡眠薬を飲んだ事の無い人でも、お酒が大好きな人なら、この気持ちは理解してもらえると思う。

 サウンドノベルと同じか、それ以上に問題があるのは、RPGだ。
「コツコツと戦って経験値を上げては宿屋や魔法で回復&たまにセーブ」の繰り返し。モチベーションが低下している時には退屈なルーチンワーク。眠い。レベルが上がったら武器や防具を購入したり、事情通から秘密を聞いたり、準備万端で次の街へと旅立つが、意識もうろう。
 時には村の長老から「どこそこの%%%に、@@があるそうじゃ」とか言われて旅立つパターンも王道だが、それも忘れる。

 しかたがないので、ある時期ワシは、ゲームをやる時にそれをビデオデッキで録画していた。風呂に入って歯を磨いて、前日のプレイを早送りで覧る。「…なんだ、そんな事か。どうりで$$を&&したわけだ…」。と、事の真相を知るのだが、それをやっていると、肝心の「今日のプレイ」をやる時間がなくなる。何かがおかしい、何かが。

 以来、ワシはサウンドノベルを卒業し、RPGもしなくなり、ゲームそのものをほとんどやらなくなった。スマホは持っているが、ゲームは何もやった事がない。もう、若くないのだ。

 ※睡眠薬の定義やら、正しい用法/正しくない用法などを書くのは面倒なので、興味のある方は検索されたし。ていうか、「眠い時には寝よう」。そんだけ。


  研究所入り口へ戻る 物語一覧に戻る ▲

善行/悪行


 ある日テレビで、三浦雄一郎さんの登山の姿を観て、思ったこと。

 エベレストに、空中から大型ヘリなどをガンガン使い、物資と人間を大量に送り込む。凹凸をなだらかにしたり、クレバスをがっちり埋めたり、長い坂には階段を作ったりする。
 さらには、途中途中に休憩所を作り、一回300円ぐらいで酸素を補充できるようにする。トイレも、電気設備を持ち込み、排泄物を高温で処理し、有機物として自然に返せるようにする。全ての電気は、山のふもとに建設した鉄塔で、山頂までスイスイ・スーダララッタと送られる。

 もし、こんな計画を立てて公表してしまったら、世界中の環境保護団体や、山岳登山なんちゃら連盟や、民間の山好きの人々や、自然に関する活動家みたいな人達から、確実に怒られる。…怒られるじゃ済まないかも。

「ありのままの自然を、ありのままに!」
「反・開拓!!」「山を護れ!!」
 みたいなプラカードとか掲げちゃったりして。

 ワシの勝手な想像だが、山登りが大好きで富士山なんか何度も登った、いつかはマッターホルン、いずれはエベレスト、みたいな“山好き”の人なら、「長く遠く険しく、果てしない道のりを歩んでこそ、真の登山である」とか言いそうな気がする。ありのままの自然に己の身体で挑み、登頂することが、登山の醍醐味であり、カタルシスなのだろう。

 善行/悪行という観点で言えば、冒頭に書いたような「エベレスト改造計画」は、ぶっちゃけ「ぶちこわし、嫌がらせ」になるのだろうか。

 未開の地を開拓してしまうという行為。自然破壊なのだろうが、見方によっては「整地」とも取れる。多くの人が、より気軽で安全に、世界の秘境を楽しむことが出来るようになる。

 すると、今度はこれらの行動に激怒した、世界中の環境保護団体や、山岳登山なんちゃら団体や、民間の山好きの人々、自然に関する活動家みたいな人達が、逆ゲリラとして、綺麗に作られた階段を破壊したり、急な斜面を取り戻したりする……かも、しないかも。言い過ぎ?
 こちらは、やっている事だけ考えると、「破壊行為」で、やっぱり「ゲリラ」だ。正義のゲリラ…?

 ここまで、冗談を書いたつもりで眠らせていたが、最近気づいたのは「城の復元に、エレベーターを設置すべきか否か論争」と、どこか似ているという事だ。ちょっと深く考えることになりそうなので、令和二年の宿題として、複雑なまんま年を越すことにする。

 あなたなら、どうします? 良いお年を。


  研究所入り口へ戻る 物語一覧に戻る ▲