世にもビミョーな物語 9頁 No. 081〜090

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  1. プロフェッショナル 2003/12/11
  2. とことんとことん 2003/12/12
  3. 推理 2003/12/12
  4. ビジネスマンとヒッピー 2003/12/13
  5. どろんこハリー 2003/12/13
  6. アナログシンセ「KEIKO」 2003/12/15
  7. 高速道路の猫 2003/12/15
  8. イエローキャブ = シュラプネル説 2003/12/16
  9. OUR LANGUAGE 2003/12/17
  10. タイム・マシーン 2003/12/19

プロフェッショナル


 先に、お詫びをしなければならない事がある。今回のコラムのほとんどは、ワシが、ある熱狂的プロレスファンのお方が運営されておられるサイトの、「プロレスコラム」。そのある一話の、まんま引用である。同じプロレスファンであるワシは、その話に深く頷いて、どうしてもワシが感じた事を皆様へ伝えたかったので、申し訳ないが、引用・拝借し、ワシの解釈と、プロレスをご存じない方への説明を加えて書かせて頂く。まこと失礼かとは存ずるが、お名前を伏せる。申し訳ない。

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 とあるプロレス団体に所属する若手選手が、老舗である新日本プロレスへ渡ってきた。以前にいた団体というのは、かなりシリアスな路線だった。念のために言うが、「プロレス=やらせ、K−1=真剣」ではない。演出を極力排しただけの「格闘技路線」団体から来た、ジュニアヘビー級の選手だった。

 ある日その選手が、新日本生え抜き、かなりベテランのジュニアヘビーの選手をバックナックル一発で、ノしてしまった。ノされた選手は、身長は高くないが手足が長い上に身体が柔軟で、「受け身の天才」「ジュニアの巨人」と呼ばれる選手である。その人を、一発の“回転まわし蹴りの、手バージョン”で失神KOさせた。
 その試合をワシは見ていないので憶測だが、お客さんたちは「すげぇ…」と思っただろう。

 彼がやったのは、バックナックル。通称「裏拳」。一度、相手に対して背を向けて高速で一回転し、その反動を利用して利き手の拳の裏で相手を殴る技だ。それを彼は、受け身の天才のノーズ(鼻)かテンプル(こめかみ)に当ててしまったのだ。人間の急所である。だから、受け身の天才が担架に載せられたのだ。

 ところが次の試合から、彼の同じ技は全然効かなくなったそうだ。お客さんは「なんでだ?」と首を傾げただろう。

 プロレスファンは、プロレスを試合会場や自宅のテレビで見ながら興奮する。そして思いを巡らす。ワシは考えた。

 試合後、彼は上層部にこう言われたかも知れない。上層部とは、プロレスラーとしての諸先輩たちである。
 「あいつ、生きてるよな」
 あるいは試合直後の帰りの花道で、勝利者の誇らしげな顔をしながら、内心恐怖で一杯だったのかも知れない。「自分は殺人者になってしまったのかも知れない」と。

 その若手選手は、次の試合から同じモーションで、確実に相手の胸元にバックナックルを当てていたのだった。

 プロレスは殺し合いではない。公の場で壮絶な格闘・喧嘩をしても許される人達だが、人間を殺してはいけない。命の大切さがわかるから、プロフェッショナルな「やらせ」をやっているのだ。

 恐ろしく野蛮なデスマッチをやっている人達だって、それもプロだ。自らデスマッチをうたって興行を催し、それでも自分たちがやっている事が洒落にならないレベルだと気づいた時から、危険を承知で同じような形ですり替えていく。あるいはその日限りで止め、違う形のデスマッチに切り替える。
 今のところ、デスマッチで死んだレスラーは、日本には一人もいないと思う。いくらプロレスのデスマッチでも、人が死んだら事件・事故として新聞に載るからだ。レスラーが試合中に死んでしまう時、それは……運が悪かった時……だ。

 どんな格闘技でも、受け身の練習だけは一生やり続けるらしい。フラフラだろうが、ほとんど無意識だろうが、条件反射的に手をついたりして力を逃がし、自分の身を護れるようになるためだ。だから、一日でプロレスラーにはなれないし、なってはいけない。

 プロレスの選手は、最後によく十八番の技を決めて見事に決着をつける。お客さんは拍手喝采を送る。「チョー最高!」「かっこいいー!」と。きちんと自分の十八番を決めて、最高の演出をして帰ってくるのだ。プロフェッショナルなレスラー、それが“プロレスラー”だ。

 ジュニアの選手がよく、ムキになって張り手合戦を延々やる。もっと効果的な大技をやってもいいのに張り手を止めないのは、止めたら精神的に負けだからだ(←これ重要)。ワシはその光景が大好きだ。面白くてたまらない。「ほんとにコイツら、昔に戻ってキレてんだろうなぁ〜」と笑う。お客さんもみんな「もっとやれー!」と笑顔で叫んでいる。

 ヘビー級もそうだ。技を喰らい続けるのは、「あーあー、お前の技なんか全〜然効いちゃいねえよ。もっともっとやってみろよ。最後、オレ、勝っちゃうもんね♪」と、イヤミな笑いを浮かべて技をどんどんどんどん受ける。そして本当に勝つ。我慢比べ・スタミナ合戦だ。

 安心して楽しめて興奮できる。だから、ワシはプロレスが大好きなのだ。最高の「やらせ」である。それが、プロフェッショナルってもんだと思うのだ。


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とことんとことん


 Macintosh用の、Microsoft Excelを買ってきた。高かったけど。
 昨年まで勤めておった会社で、Windows用のExcelは使っておった。ワシが昔Macを買ったのは、二十歳頃勤めておった会社のオンライン端末がDOS/VやWindows3.0みたいな状況だったので、死んでもお持ち帰りをしたくないのと、音楽をやるには不向きだったからだ。

 しかし仕事へ行くにはそうも言っていられない。転々と渡り歩いた職場では、悲しいかな全てがWindowsだった。しょうがないのでしょうがなくそこにあるアプリを使った。ワシがもしワープロで綺麗な「文書」を打つのなら、Windowsの一太郎だし、表計算ならWindows用のMicrosoft Excelだ。Macのワープロや表計算、何があったかよく知らない。家で、そういう作業はしない。音楽は色々いじるが。

 Macにも最近Excelが移植されたが、絶対にあれはWindowsの2ボタンの方が、圧倒的に作業効率が良い。ワシはMacの1ボタンマウスが不便でしょうがなく、海外のメーカーさん(KENSINGTON)の、5ボタンマウスを使っておる。ドライバが素晴らしく、全てのアプリに対していくらでも全ボタンカスタマイズ出来る。

 ポップアップメニューをそれぞれのアプリ、それぞれのボタンに作れたり、あるボタン一発で電子辞書が立ち上がり、新規ウィンドウが開いたり、どんな状態からでもボタンひとつでInternet Explorerに切り替わってgoogleが一瞬で出たりするので、楽だ。左手で頬杖をつくクセのある面倒臭がりのワシにとって、右手で全て行えるのは楽なのだ。

 そんな折、知り合いの方から電話がかかってきた。
「おはようございます。あのー、私どもの会社、Windowsであれこれやっているんですけれども、Excelで単純データの大量入力をする人がいなくて困ってるんです。もし、○○○さんのお手が空いてらっしゃいましたら、出来ればお願いしたいのですが・・・・・・・・」

 空いてます空いてます空いてます。6月のスキー場みたいにガーラガラに空いてます。手も身体も人生も。仕事探しも出来ずに毎日、家でどうしようもなく頭抱えてます。

 「は、はぁ…。ほ、本当によろしいんでしょうか? 単純作業は、昨年丁度やっておりましたので、そうおっしゃって頂けるのは本当に有り難いんです…が………。でも、本っ当にいいんですか? 私、職場は全てWindowsでしたけれども、○○さんも御存じの通りMacユーザーですよ? い、いいんでしょうか…?」
 「はい。Microsoftさんが、Mac版のExcelを出しているようなので、互換性はあると思います。ですので、打ち込む資料の本と手順書を今日すぐに送らせて頂きます。締め切りは25日ですけれども、全て間に合わなくても後はこちらでやりますので、○○○さんの出来る範囲で十分ですから、お願いしても…よろしいでしょうか…」

 はいっ。はいってば、はいっ!。出来る範囲で、構わないなら♪ やらせて頂きます。一週間に十日でもやります。とことんとことん。
 ワシはまた、頭を抱えた。それで、Microsoft Excel for Macintoshを、なけなしの金はたいて、買ってきた。

 困った。行とか列の挿入、面倒臭い。マウス設定しても、やっぱりMacだと面倒臭い。でもWindowsなんて買う金ない。置き場ない。
 とにかく、ご親切にありがとうございました。頑張らせて頂きます。とことんとことん。


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推理


 今年の夏、大阪へ出かけた。疲れていたので早めに宿を取り、一度お風呂に入ってベッドで横になった。それは日曜日で、アニメの時間だった。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の終わりあたりを見た。秋本さんのこの漫画は、小学生の頃に友達が毎週連載されている漫画本を買っていたので、回し読みさせてもらっていた。だが、アニメはどうもピンとこないので、引き続きゴロ寝をしておった。

 次に「ONE PIECE」がはじまった。ワシが熱心に見ていたアニメの一番最後というのは、おそらく初代のドラゴンボール。あとは、永遠に見続けるドラえもん。他は、せいぜいクレヨンしんちゃん、アンパンマン(子供の頃に読んだ、やなせたかしさんの作品だから)。

 主題歌が終わる。お話がはじまる。このアニメか漫画が巷で大流行していて大人気なのは知っているが、中身は知らない。で、「あれ?」と思った。かろうじて知っておった主人公のルフィ君。声に聞き覚えがあった。

「クリリンじゃん」

 でも、どうしてもワシは確信が持てない。ここから、ワシの推理が始まった。

 一人のキャラだけでは解りにくいので、他の声も考える。
 取り敢えず、
 クリリン = パズー = 田中真弓さんを基本とする。

 他によく似た声の主がいらっしゃる。それは、魔女の宅急便で主人公の少女キキを演じておられた高山みなみさんと、アニメソングの番組で知った、ポケットモンスターに出ている松本梨香さんの二人である。田中さん含め三人とも、男の子の声を演ずる声優さんである。
 高山みなみさんは、ずっと女の子の声の人だと思っていたが、ある時うっかり見た「名探偵コナン」の最後のテロップで、男の子のキャラも演ずるのを知った。

 こういう図式を作ってみた。
 高山みなみ − 田中真弓 − 松本梨香
 左が「静」、右が「動」である。

 全員似たような男の子の声を発せられるが、

 高山さんは
「とても賢くて知性を感じさせるが、少しだけ生意気で、皮肉めいた部分も感じさせる声。短パン一丁で野山をかけずりまわる事は絶対にやらない。男子小学生のくせしてクソ生意気に『STUDIO VOICE』とか『Figaro Japon』とか読んでいる。趣味はNゲージ。嫌々ながらピアノを習わされている。基本的にあぐらはかけない。あぐらをかく事があるならば、何かに反抗したり軽蔑したりする時、両手を頭の後ろへ回して『はいはい、わかりました』という意志を態度で示すためだけ。毎日がポーカーフェイスで、斜に構えたような男の子」が、得意だと思う。

 松本さんは
「元気がありすぎるほどのやんちゃ坊主で、とても正義感を感じさせる声。時々は悪さもするが、後輩や遊び仲間のまとめ役(=リーダーシップ)や、喧嘩の仲裁をする気配りの精神を持つ。中学に入ったら野球部。開襟シャツを好む。ボタンがあっても絶対に苦しくて外す。靴は汚い。部屋も汚い。納得できない理由で殴られたら、3倍にして殴りかえす。座るなら絶対にあぐら。正座は出来ない。感情が表に出やすくて、なにくそ! という負けん気の強さを持った男の子」が、得意だと思う。

 田中さんは、その中間。
「そこそこ勉強は出来そうだが、通知票ではせいぜい4が1つぐらい。体育は必ず5。あとは3。ちょっとだけ2。好きな科目は給食。牛乳が飲めない同級生がいると、代わりに飲んでくれる。本番に弱い小心者だが、実際やってみると色々出来ちゃうタイプ。多少の臆病さがあっても、周囲にノセられると『そ、そうかな…?』と木に登る。取り敢えず明るいので、場を和ませる。喧嘩をしても、いきなりは怖くて殴れないようなチキンハートな男の子」が、得意だと思う。

 推理を続ける。
 もしもルフィ君が高山さんならば、ここまで純情ではない。かといって、相手が許せなくて人を殴る時にも、「ざまーみろ〜〜〜あっはっは〜」という感じに聞こえたので、松本さんでもないと思う。松本さんならば、本当に激怒して歯を食いしばってブン殴ると思う。でも、ルフィ君は違う。敵をやっつけてしまえば、自分が倒すのに手こずった事さえ冗談にして、仲間たちと陽気に笑っている。

 すなわち、このルフィ君は、田中真弓さんだろう。

 ワシは延々、お話が終わるまで推理を続けた。
 やっとお話が終わった。最後のテロップを、ワシは凝視した。

 そこに「ルフィ:田中真弓」と、あった。
 推理は的中した。

 結局、ONE PIECEがどんなお話だったのか、覚えていない。


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ビジネスマンとヒッピー


 さて。Microsoft Excel for Macintoshの続報。だめだ。セルの属性ひとつ変えるのに、去年の職場にあったWindows95の、富士通だかの超ノロノロマシンだって、右クリックをちょんと叩けばうっほほいのほいだったのに。

 以前このコラムで書いたかどうか、そろそろ年齢的に頭がボケてきたのか覚えとらんが、ワシが生まれて初めて買ったパソコンは日本電気のPC-8001であった。失礼。パソコンではない。マイコンと呼ばれておった。「国産初の、一般ピープルでも買えるマイコン」そんな感じだったと思う。

 皆様にクイズ。「このPC-8001。カーソルキーは2つしかありませんでした。上と、右です。ところが、マイコン少年たちは上下左右、自由自在に動かすことが出来ました。一分だけ時間をあげましょう。今、何問目? とかは言いませんので、お考えください」

 正解:シフトキーと上で、下。シフトキーと右で、左。

 これが当時の現実だったし、これを書いておるクソ可愛くないヒヨコが生まれて初めて見てしまったのがそれなもので、どんなカーソルがどんな配列になっておろうが、JISだろうが106だろうがヘッポコだろうが、富士通さんの親指シフトだけは勘弁してほしいのだが、なんにも気にならない。

 ゲームと言えばジョイスティック? なんだそれ。ゲームと言ったら「8246ZX」に決まっておるではないか。キャラは右手で動かすもんだろう。故にワシは、ゲーセンのゼビウスのレバーを右手でいじり、ボタンを左手で叩く。両手交叉して、困ったなー困ったなーとか稲川さんみたいにブツブツ言いながら遊んでおった。話がそれた、失礼。

 ワシがMacを買ったのは、音楽をやりたかったからだ。専門学校時代のこと、ワシは学校の中の打ち込みをやる科の学年に1人いるかいないかのMacユーザーが、なんか嫌いだった。
 89年なんて、G3もPowerPCもない、なんにもないただ風が吹いていた時代。それを持っている連中はスカしてるっぽく見えたからだ。

 「あーあーいいねぇ、恵まれてるねぇ」と、トホホと嘆いた。PC-8001なんか標準搭載メモリ16KB。拡張したって32KB。しかも一部がVRAMに持っていかれるので、実質のユーザーエリアなんか26KBだぞこの野郎。おまけに16KB追加するのに、84年でさえ4万とかしたんだぞこの野郎。

 また話がそれた。
 二十歳を過ぎたらもうババァ、じゃなくて、二十歳を過ぎた頃には、やはりどうしてもMacintoshのシーケンスソフトが欲しくなった。当時のワシが使っておったのは、小室氏もかつて使っておられたPC-8801と、カモンミュージックのソフト。あのお方も、シンクラヴィアのそのまた前の前のPC-9801Uの前には、88だったのだ。
 ウソだと思うならTM Networkの、北海道は札幌だけで先行ブレイクしちゃった2ndシングル「1974」のプロモーションビデオの1分39秒あたりを見て頂きたい。どう見てもそのパソコンの方のキーボード、88じゃん…。大変だったんだね…、てっちゃんも。

 やがてマイコン小僧がパソコン小僧になり、音楽もパソコンも好きだったので、まずは大型汎用とかなんでもいいから就職してMacを買う軍資金を得た。そしてPC-8001を買ってから10年が経過し、ようやくMacintosh LC-630を手にした。なんちゃってDECADEだ。まさか自分がMacユーザーになるとは、思いもよらなんだ。

 次に音楽環境をどうするか。当時、一番主流だったシーケンスソフトはMacintosh用の「Performer」だった。だが、オブジェクト指向だとかいう謎の言葉につられて、高かったけれども「NOTATOR LOGIC」を買った。もう、ダイビング・フロム・ザ・ステージ・オブ・キヨミズだった。10万円だったが、とにかくプログラムが小さくて軽かった。

 LC-630でLogicの様々なウィンドウを6つぐらい開き、プレイバックしても処理落ちなし。全てのウィンドウが日立のS1並みの滑らかさでスクロールしていた。Performerは、店頭でカックンカックンしていた。ワシはLogicを買ってから長いが、Logic起因の爆弾を一度も見たことがない。それ以前にはATARI前田の「24」というのもあったが、なんか見通し暗そうな気がしてやめた。

 軍資金を得るべく大型汎用の会社でWindows3.0のフロッピー30枚ぐらい、泣きそうになりながらインストールしていた頃。大型汎用の端末エミュレータとして、IBMのDOS/V機を使っていた。何もMVSの中身がわからんワシは、エミュレータでは単純作業をポコポコやり、その裏でBASICを動かし、単音が鳴るのでMMLを書いた。

 何故だか億単位の大型汎用の端末のBGMはゼビウス。「走りやがれこのクソJOB!」とか言いながらエンターとかスペースバー叩くと、ブラスターが「ぷぅ〜〜ん」と落ちるようにした。職場の仲間に、こっそり配った。読んでますかこれ、Nセンセー。Nセンセーが大型汎用でこっそりチャットするべく作った「いどばた君」、何故かうちの研究所でも稼働してますよ。不思議ですね。

 だもんで、Microsoft BASICを作ったのがゲイツ氏だろうが誰だろうが、そんなくだらん話してると、世界中の大きなお友達から緑色ラベルの15分テープが、てっちゃんのツアーのトレーラーみたいな量、送られて来るぞ。怖いぞ。ゲイツさんもマイコン少年だったのだ。日電のワンボード、RAM512byteのTK-80とかも、ひょっとして持っていたかも知れんのに。ワシは持っとらん。4歳のガキは、バイト出来んかったのだ。

 ジョブス氏とウォズニアック氏の話を聞いた時には「この人たち、絶対三才ブックス読んでるだろ」と思った。タダがけするならバレちゃいけませんよ。仕事きっちり。高級ソファーに座ってコーラ飲んでたおじさんも、仕事するより遊びたかったんだろう。ワシもそうだ。高級ソファーは持ってませんが。

 仕事したいゲイツさんと遊びたいジョブスさん、ごめんなさい。こんな事21世紀になってもまだまだ書いてる男がここにいます。きっとこののび太は、22世紀の未来まで、こんな昔話を書き続けることでしょう。

 追伸:中村光一様。一生ついていきます。次のかまいたち、8年でも10年でも待ってますから、どうかよろしくお願いします。でも、60分テープ1983本組とかでだけは販売しないでくださいね。全部読んでいたら、ほんとに22世紀になっちゃいますんで。


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どろんこハリー


 これは、コラムじゃない。独白で私信で、職権乱用だ。

 僕が二十歳を過ぎた、ある年の春。夜の十時半頃だった。僕の部屋の電話が、突然鳴った。

 僕は、この世で一番大切な友達を失った。同じ専門学校に通っていた、とても仲のいい女の子だった。女の子だけれども、三歳年上だ。それでも僕たちは、「しま!」「いがらし!」と、笑顔で毎日学校で喋っていた。その子は埼玉県に住んでいた。僕は、今もいる、東京のある町で暮らしていた。今も同じ場所で暮らしている。

 僕の人生の最長最大の長電話記録を作ってくれたのは、その子だった。平日の真っ昼間、しかも向こうからかけてきて、電話代も気にせずに6時間喋り続けた。切った理由は、僕の左手が攣ってしまったから「ごめん、しま、もう切るねっ。じゃあ、また明日ね!」。友達以上の友達だった。男と女の関係なんかじゃなかった。幼い頃から、ずっと一緒にいたような子。初めて出会った時から懐かしいと思った。だから、打ち解けた。

 いつも、その子とは二人で安くて不味いハンバーガーを学校すぐそばのお店で食べたり、飲めもしないくせにコーヒーを飲んだりして、くだらない話から楽しい話から何もかも、お互い毎日のように楽しく喋っていた。

 十時半の電話は、その子の訃報だった。

 自分の時間が止まった。電話をかけてきてくれたのは、その子とも僕とも仲良しで、専門学校を卒業して、それぞれ忙しくなっていただけの、やっぱり仲のいい女性だった。
 「いがらし!、とにかく、いがらしには伝えなきゃと思ってかけたよ。じゃあ、遅くにごめんね。切るね」

 電話を切った。

 僕は、放心状態だった。学校一、おかしなぐらいマメな奴として「電話帳」とか呼ばれていたので、一度気持ちを整理した。整理出来なかったけども、時間もわきまえず、連絡がつく限り、自分のパソコンで作ったアドレス帳を頼りに、翌日のお昼まで電話をかけ続けた。昔の仲間達は皆、絶句した。

 「いがらし、ホントか……本当か………? しまちゃん、死んじゃったのか!?」と、電話の向こうで言った。

 僕は電話を切っては泣き、ひたすら冷静を装って、また次の奴・次の仲間たちに、会社を休んででも電話をかけ続けた。そして、また泣いた。本当に、本当に涙が止まらなかった。
 その子は内向的だった。誰にも話が合わず、僕も誰にも話が合わず、やっと懐かしい友達に出会えたから仲良くなった。僕は、醜い顔をして泣き続けた。泣きすぎて、38度の熱を出した。

 本当の死因はわからない。僕は、会社で真剣な顔をして、ちゃらんぽらんな新入りのくせして、先輩、課長さんに訴えて、「お願いですから早退させて下さい。仕事の事はわかってます。でも、どうしても僕はお通夜に行きたいんです。お願いですから行かせてください。お願いします………」と、仕事ができないのに生意気を承知で言った。
 ちょっとだけ苦手だった課長さんも、先輩も、みんな微笑んで、「いいよ、行って来なさい」「そんなのわかってるよ」と、僕に精一杯優しく接してくれた。

 僕はみんなに「しまちゃんのお通夜、どこそにある、こういう字を書くお寺さんで、何々線の何々駅で降りて、この道を通ってここを曲がって何分ぐらいのところで、何時から。本葬は、なになに霊園で、ここにあって、次の日の何時からだから」と、意識が朦朧としながら電話していた。

 お通夜のこと。みんな、寂しそうに微笑んでいた。それぞれ音楽ではプロとして成功していなかった。プロになれた仲間は、忙しかったから来れなかっただけだ。

 みんな、僕に言った。「五十嵐、ほんと、ありがとな。お前がそんだけ電話くれなかったら、俺たち、しまちゃんが死んじゃった事、わからなかったよ。でもな、もっともっと電話して、後輩だろうがなんだろうが、しまちゃんの事知ってる奴らに、なんでもっと電話しなかったんだよ………」と、怒られた。自分が悔しかった。

 一番泣いたと思うのは、当時しまちゃんと幸せに付き合っていた、同期の仲間だった。彼はバイトの関係で、どうしても仕事をすっぽかす事ができない真面目な男で、お通夜にこれなかったのだ。出棺にさえも来れなかったかも知れない。僕は、まだ放心状態で、自分の事で精一杯だった。

 本葬。
 形式的なアナウンスをする進行役のおじさんが、みんな許せなかった。しまちゃんの事を、「さぞや、ご両親は………」
 お焼香が終わるまで、僕は耐えた。目の前には、少し寂しそうに、悲しそうに笑うしまちゃんの白黒の写真があった。そのすぐ下には、もう息をしていない、二度と目を覚まさないしまちゃんが眠っていた。

 部屋を抜けた。僕は、人目も憚らずに泣いた。恥ずかしくなかった。

 しまちゃんは自殺ではなかった。本当の原因は誰もわからない。わかっているのは、しまちゃんが、当時仲良しだった違う仲間達とどこかへ出かけ、何かに傷ついて、どこかへ走っていった事だけ。
 みんな、しまちゃんの御両親に、事情なんか聞けなかった。

 出棺の時、あの頃の先生たちも、事務局の人たちも、みんな来てくれていた。しまちゃんが眠っている車が走ってゆくのを、僕は追いかけたかった。

 しま!どうして死んじゃったんだよ。ばか………。
 あんなに大好きだったのに。

 どうしても僕は、春になると悲しくなる。そして、無理して笑顔を作る。
 しま。しまちゃんの分まで、僕、生きるよ。しまが、誰とも話が合わなかった代わりに、僕に嬉しそうに喋ってくれたよね。
 「わたし、将来、何かの役に立ちたいんだ。お金とかなんてどうでもいいから、わたし、怪我をしちゃった動物とか、そういうののお医者さんになりたいんだ。いがらし」って。

 しまちゃんは、猫も犬も、ねずみも、何もかも弱くて優しい生き物が大好きな代わりに、弱くて優しい生き物としか通じ合えなかった。だから僕は、そんなしまちゃんが、異性の女の子なんかじゃなくって大好きだった。

 僕は、しまちゃんのために、これから人を楽しませて、にっこりとか、あははとか笑ったり、微笑んでくれるような音楽、頑張って作っていくよ。お金なんか、最低限、ご飯が食べられたらいいよ。音楽のプロになんかなれなくていいから。僕も、身体も弱い、心も弱い、何もかもダメなダメ男だから、それしか自分を伝えられない。しまちゃんと同じだったよ。
 君は、弱すぎて死んじゃったんだよね。

 僕は、この文章を、全身全霊を込めて書いたよ。
 今も僕は、ぐちゃぐちゃの醜い顔をして、鼻水まで垂らして泣いているよ。

 何十年後か、明日かもわからないけれど、いつか僕も死ぬんだ。
 だから、悲しくなんかないよ。
 ありがとう、しま。

 さよならなんか言わないよ。また会おうね……いつか、きっと。必ず。約束破ったら、ほんとに絶交するよ。今でも君の電話番号は、僕のアドレス帳から消してないよ。これを打っているMacの中にも入っているよ。僕の心の中で、君は生き続けているんだよ。なんか、今にも君から電話がかかってきそうな気がするよ。「いがらし。今、平気?」って。
 一つだけ心残りなのは、君の本当の命日がわからない事だけれども、僕はかまわない。

 君が、ただ一つだけやった、優しいジョークを覚えている。
 僕が二十歳の誕生日を迎えた時だったか、わざと「どろんこハリー」という、子供向けの、漢字のひとつもない、可愛らしい絵本をプレゼントしてくれたよね。
 「成人式、おめでとう」と、にっこり微笑んで。僕は、今も大切に持っているよ。音楽資料しかない僕の部屋にある、ただ一つの物語。

 僕はおかえしに、Belinda Carlisleの「Heaven is a place on earth」を贈るよ。

 じゃあ、おやすみ。しま。ゆっくり眠るよ。君があの時、安らかな顔をして眠っていたように。僕は眠るよ。

 おやすみなさい。


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アナログシンセ「KEIKO」


 これは、コラムじゃない。カルトだ。読んでいてウンザリ、誰もこのページなんか読みにこなくなったらどうしよう。

 先だって、あの小室哲哉氏が、KEIKOさんと目出度く結婚なされた。今まで、音楽ではジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ成功していたが、なぜだか恋愛は苦手だったようなので、ワシはホッとした。あの二人は離婚なんてしないと思う。半分ぐらい断言する。それって断言じゃないような気がするが、四分の一ぐらい断言しておく。

 globeのアルバムは、ファーストしか持っていない。TM関係は別として、それしか買えなかった。聞こう聞こうと思いつつ、この一枚で間に合っている。
 KEIKOさんの声というのは、初めて耳にした時、ピッチのあやしい人だと思った。微妙にフラット気味。ワイルドで荒々しい声。ビブラートも、それほど綺麗な周期ではない。

 昨今、「歌姫」と呼ばれる人達が、一生懸命頑張っている。世間では、透き通ったハイトーンが出せる事が素晴らしいと思われているらしいが、ワシはKEIKOさんの歌を聴いて、それは違うと思った。
 「笑っていいとも!」に、KEIKOさんがゲスト出演した際にも、司会のタモリさん(ほんとは名トランペッターなのに)が、「いや……ほんと………高音、すごいね! ……どこまで出るの?……の?」と、問うた。KEIKOさんは、「えー、そんなに出ないですよー。結構キツい曲も多くて…。『FACES PLACES』っていうのが辛くて…。高いGの音が限界で…ほんと、出ないんです」と、語っていた。

 ワシは『FACES PLACES』を、スペースシャワーTVで偶然録画して聴いていた。確かに客観的に分析チックに聴くと、KEIKOさんの声、高い方へ行けば行くほど怪しい。ワシは、この人が「気持ちよく出せる限界」は、高音のF#だと思っている。『FREEDOM』を聴けばわかる。

 それが『FACES PLACES』ではおかしい。1分49秒から始まるフレーズ「Best of my life〜」。この音はFなのだが、何故だろうというほど下手に聞こえる。とても苦しそうだ。ここから、KEIKOさんがどんどん苦しくなっていく。あれは、わざと苦しく歌っているのではない。

 2分54秒からのサビ。この人、喉つぶれるんじゃないかというほど無理して歌っている。3分38秒。とうとう問題のGが出てくる。もうダメだ。限界を超え、振り切っている。音程なんて、あってないようなものだ。あがいている。

 歌手の人達は、毎日のように色んな方法でボイストレーニングをやっている。KEIKOさんだって、あの小室氏のもと、どえらい苦労をして練習しているだろう。それが半年、一年、いつまで経っても、Gから上がポンと出ない。時折町中で流れたりするのを聴いても、どう聴いても苦しそうだ。おそらく今でも、KEIKOさんの「気持ちよく出せる限界」はF#だと思う。

 間違っていたならば、小室先生に謝らねばならぬが、説明してみる。
 あの小室さんが、そこまで無理をさせるとは思えない。本当の限界ならば、あの人は曲のキーを下げるはずだ。でも、下げない。わざと無理をさせているのだ。そして、おそらくはKEIKOさんの限界がその音であるのも当然のように把握しているだろう。だから、無理をさせる。これは、「頑張れ」ではない。ここ重要。

 以下の一文、本当に間違っていたら、心から頭下げます。小室先生。
 KEIKOさんには、それ以上気持ちよく出してもらっては困る。だから、ハイトーンが出せるようになる練習をさせないか、本当にKEIKOさんはそれ以上の声が出ないのだと思う。

 何故こういう事をワシが書くのかを、さらに説明する。
 それはTM Network時代からの、小室さんのプレイにある。BOOWYの布袋さん同様、ライブでの小室氏は感覚と勢いそのままに弾いている。ミストーンだらけ。ミストーンというよりも、鍵盤を叩きまくって、音程なんてどうでもいいプレイをしている。その代わり、あの人が真剣に鍵盤を叩くと恐ろしく正確だ。それは、「機械のように」ではない。

 TM Networkの2nd Album「CHILDHOOD'S END」以降でハッキリと判るのだが、あの人はシンセベースを鍵盤で直接弾いている。曲によっては、全くクオンタイズなどしていない。顕著なのが「TWINKLE NIGHT」。この曲、一切クオンタイズしていないと思う。小室フリークでMIDIやっていれば常識だ。いつものようにDX-7とOB-8をMIDIで直に繋いで弾いている。

 冒頭から気づいた方もおられようが、ハッキリ解る部分。それが2分54秒からの間奏。このベース、どう聴いてもクオンタイズされていない。全然ジャストじゃない。TMフリークでMIDIやってりゃ常識だってば。知らなきゃ、それは“おたく”ですよ。
 「CHILDHOOD'S」から、「GORILLA」の手前まで、全編一切いじっていない曲だらけだ。あれだけの打ち込みの大家が、自分で弾いてズレている物を平気でレコードにしているのだ。

 「GORILLA」からは、生のベースやドラムをゲストで呼んだり(勿論1stからも、マットシ君などがさり気なく参加してはいるが)、様々変わっていく。ちなみに、このアルバムでリズム体をつとめておられるのは、山下達郎さんのパーマネントなバックを務める青山純さんと伊藤広規さんだ。小室さんは、ホーンセクションを導入したり、青山さんや伊藤さんなどの人達に、人間の生のノリ・生のグルーヴを出してもらっていたのだ。

 「Get Wild」も、手で弾いてからクオンタイズをかけている。あの、いつものように両手をパーの形にして、バカスカと叩くように弾かないと粘りが出ない。死ぬほどコピーしまくった鍵盤小僧は、みんな知っていると思う。それがわかるから、ほとんど手で弾いておいて、必要に応じて修正をかける。それが、あの人のやり方だ。デジタル(機械的な物)と、アナログ(人間的な物)を、使い分けておられるのだ。

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 憶測だが、小室さんはTMのライブに於いて、一番人任せにしたくないパートはベースだったのではないかと思う。TM Network時代、初期の初期を除けば西村麻聡さん(先に触れた、通称「マットシ君」。FENCE OF DEFENSE)や日詰昭一郎さん(※故人・2001年10月15日、脳内出血のため死去)などサポートのベーシストがいたが、1988年夏、東京ドームでのCAROLお披露目的ライブでは人間のベースがいなくなり、生のドラム+打ち込みのシンセ・ベースというスタイルになった。

 「TM Network」が「TMN」と改名し、同期演奏なしのステージを始めた時も、エレキ・ベースを弾く人間はいなかった。その代わり、浅倉大介さんが鍵盤でベースのパートを手弾きしていた。これというのは、演奏の技術は勿論のこと、「KISS JAPAN」「CAROL」等のツアーでマニュピレーターを担当したり、「YAMAHAの契約社員だった人(浅倉)」と「YAMAYAとエンドースメント契約を結んでいる人(小室)」という関係、同じキーボーディストとして音楽的に信頼できる人間だったからだと思う。

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 話がそれてはいない。KEIKOさんの事を説明しているのだ。これが結婚にも繋がったと、ワシは一人勝手に考えておる。
 TM NetworkからTMNへと改名し、完全に同期演奏をやめた。あの人達が、一切のクリックなしで完全な生演奏をするとはワシも考えていなかった。おまけに葛城哲哉という“マーシャルとワウとトーキングモジュレーターとライトあんよで喰っている”もう一人の「哲哉」さんまで呼んできて、やりたい放題。ドラムの阿部さん(TMN最初のアルバムでは、山木秀夫さん)、ツーバス思いっきり連打。

 そういえば、カツラGがかつてボーカルとギターをやっていたバンド、「T.V.」では、もう一人のギターが「哲也さん」だった。テツヤさんつながりだ。ちなみにちなみに、この「T.V.」にいた、ドラムの五十嵐公太さんは、JUDY AND MARYに参加することになる。ベースの近沢さん、ほんとはギターになりたかったのに、哲哉 vs 哲也 vs 克也のジャンケン合戦に負け、泣く泣くベースとなった。

 ツーバスの阿部薫さんは1983年、TM Networkデビューのきっかけとなったヤマハのフレコンでサポートを努めておられた。人生よくわからないが、これぐらいTMフリークなら常識だ。ちゃんと覚えとけ。ダテに池袋に二年に一度通って、ありとあらゆる楽器メーカーのカタログ、6kgとか7kgとか持ってきてないぞ。肩痛いんだぞ。

 TMフリークを名乗るなら「神社でB」持っていて当然だぞ。ね、策士で作詞のとおなねきさんと、真剣にギターを練習したのにどうしても弾けなかった、ドクトル日詰の『サポートギター』のてっちゃんと、太鼓のウツさん。

 同じく木根ちゃんの実家が、とある市の○○工事屋さんで、その軽トラックが…なんてのは、カルトでもフリークなんでもなく“TMファンの一般教養”ですよ? その軽トラックで、てっちゃんの引っ越しが…とか、ウツと木根ちゃんがアフロでベルボトム履いて成人式の日を迎えた話…とか、てっちゃんのお父様が某メディアとかサプライ関係の…なんてのは全部“一般教養”ですよ? 全然カルトじゃないですよ?ご存じですよね? 勿論。

 さらに同じく、FENCEが河口湖だかの練習スタジオからの帰りの車で、誰かが「夜も更けてまいりました」と言ったら、いつも無口なキタケンが「私たちも老けてまいりました」とか言って、ワタル君もスタッフも大爆笑とか、これもぜーんぶ「TMの人脈関係の一般教養」ですよ? しつこいですか? しょうがないですね、今日のところはこれぐらいでカンベンしといてやりますよ。

 まだそれてはいない。結論を言う。
 要するに小室さんは、「アナログシンセのような、太い、荒々しいワイルドな声」を、求めていたのだ。アナログシンセのピッチが不安定な理由を書いているとこのコラム、何千行を超えるかわからんので端折る。

 KEIKOさんの声。それは透き通っていない、きっちり正確ではない“生々しい、ただの人間の声”だ。「FREEDOM」の高音のF#を出した後、KEIKOさんが下品なまでのワイルドさで「エ〜」を繰り返して降りてくるのもそうだ。あれだけの人達が、ピッチがおかしいと思ったら直さないわけがないし、CDなんぞ出さない。

 小室さんは、アナログ時代からデジタル時代までを駆け抜け、機械の良いところ、人間の良いところを知り尽くしているから、わざと「ポンと出させない」のだと、ワシは思っている。出してもらっては、ただの綺麗なデジタル・ボイスで終わってしまう。
 その声に惚れ、もしかすると人間性、つまりは人柄に惚れて結婚されたのかとワシは思った。だから小室先生も、最終的には人間が好きだったのだ。機械は、使うべき時に使うだけだ。必要最小限。

 ワシが、まこと失礼ながら小室先生のをパロった時も、両手をひらひらで弾いた。そうでないと、マウスをいじりすぎて、腱鞘炎になる。かつて先生が使っておられたPC-9801とカモンミュージック。基本的には、数値入力ベースのシーケンサーと思われているが、先生はあのヤマハDX-7特有のアタック、独特のクセのある音を使って、日本中に「小室のベースだ!」と認知させたフレーズを、ほとんど手で弾いていたのだ。

 全員が、同じ人間であり、複雑な人脈だった。すなわち、ただの人間関係だったのだ。その人間が発する歌も声も、ノイズも、何もかも全ては関わり合いなのである。

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 長い追伸:遅ればせながら、ご結婚まことにおめでとう御座います、先生。そういえば、KEIKOさんとワタクシメ、生年月日が全く一緒なので御座います。あと、SMAP中居くんも。残念ながら、ワタクシメはなんの関わりもなく人生終わっちゃいそうな気がしますが。とにかく、目出度し、目出度し。

 先生もDRAGON THE FESTIVALツアー、全部PC-8801とカモンで回ったんですよね。御存じでしょうけど、8bitですよ8bit。今考えると笑っちゃいますね。私の部屋の収納にも、未だに88眠ってますよ。物は大事にするもんですね。

 まだある追伸:「恋のながら族」、どこをどう聴いても「POWER STATION版の『げりろん』」そのまんまですよね。先生も布袋さんもT-REXを大好きなのはワタクシメもよ〜〜く存じ上げておりますが、小室先生は、「あ。本家よかパワステ、カッコいいじゃんね。ボク、演りたいな♪」だったんですね。ワタクシメも、本家よかパワステ大好きです。

 おまけに先生がただのミーハーなDURANの一ファンなもんで、(DURAN)2のドームに上がって、ワタクシメの大好きなククルロ先生と一緒にパワステに「なりきって」ましたよね。よっ…………ぽど遊びたかったんですね。職権乱用つーか、立場を利用するってやつですよ、それ。ズルいですよ、先生。
 ウツさんのドラムが、トニー・トンプソンさんクリソツなのには笑っちゃいましたが、プロの皆さんがよってたかってそんなもん作って、自主制作で限定1,332枚作って1,332円で売っちゃうの、反則ですよ。ブレイク工業の人、素人さんですよ。泣いちゃいますよ、ワタクシメも。ほんとに、もぅ…。大好きTM。

 みさっちゃんの事まで書いていると年が明けるので、また来年よろしくお願い申し上げます。年賀状を書きたいのですが、住所なんか知りません。タイムマって、まだあるんでしたっけ?


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高速道路の猫


「みなさんこんばんは、への“五代”1号です。
  ちさ子さーん、好きじゃあああ!」
「やめんか。近所迷惑だぞっ!!」

 と、何かペイジを間違えたようだが、リッチーでもなんでもない。ちなみにワシは、「学校一・オールドギターの似合わない男」とか言われた記憶があるが、んなこたどうでもいい。STEINBERGERで悪いか。モト冬樹さんで、ククルロ先生で、C-C-Bの渡辺さんだぞ。

 そんな事を考えておった学校当時、一つ上の学年の先輩が、大変にワシを可愛がってくれた。不思議なお方で、そっち系の学校なのに突然縦笛を持ってきたり、重いのを承知でヤマハのポータトーンを持ってきたり、結局何科なのかわからない人だった。重い鍵盤、DX-21だか27を、かつてレピッシュの上田現さんが無理矢理ショルダーにしていたらしいが、さぞかし重かった事だろう。なんで今、奄美の女神様のプロデュースなんかやってるんでしょうか。

 その先輩、ある日ワシをライブに連れていってくれた。何も知らない、これまた“無知野郎”のワシは、電車にゆられて吉祥寺かどこかの、どんどん暗い暗いところへ連れていかれた。行きは宵宵、帰りはナントヤラ。こんなところにライブ会場があるんだろうかと、ずっと首を傾げながら、ワシは歩いておった。

 着いてみるとそこは、とても暗くて狭い場所だった。5〜60人ほど居たのだろうか。もう満員状態。先輩は特に気にせず、「中、入ろうよ」と言った。そのライブとは“斎藤ネコカルテット”という、こりゃまたようわからん名前の弦楽四重奏の人たちだった。

 かつて、クラシックギターを習っていた頃、そのギターの市民サークルはとても自由な空気であった。ワシは、縦笛持ち込み佐渡おけさ&チャンチキおけさ。新潟県民なら吹けて当然だぞ。下校途中に「Goonies 'R' good enough」とか、原曲キーそのまんまで吹いてたぞ。歌い出しの「and blues」だけ縦笛の下の限界だから、一音抜いてごまかしておったぞ。当時からインチキの忍者ハッタリ君だったぞ。
 そういう世界だったもので、隣町からは、ヴァイオリンを弾かれる会社員のおじさんとか、ギターもカラオケも大好きで酔っぱらって小皿叩く陽気なおばさんとか色々おった。ワシにとっては、毎週一回ピーヒョロロ&ちょろっとだけギターの世界だった。

 でだ。その熱気むんむんなライブハウス。臆病者のワシと、それを引っ張ってきた先輩は、後ろの壁に寄りかかっていた。すると、ちょいと丸顔でヴァイオリンを持ったおじさんが目ざとくワシを見つけ、ボウで指差し、こう言った。

 「そこの君、ここ、ここ。空いてるから」

 その席は、四人組の目の前50cmぐらいの世にも恐ろしい席だった。
 誰も座れなかったのかも知れない。先輩にそそのかされたワシは、たった一席だけ空いていたその椅子に座った。困った。いやーな汗をかいた。

 第一部、クラシックのお時間だった。ふむふむ。きっとプロなんだろう。なんとなく、名前は聞いた事があるような、ないような状態。と、思い出しつつ聴いていたので内容をさっぱり覚えとらんかった。失礼。
 第二部、この辺から、どうもバラエティっぽいのではないだろうか…という雰囲気になった。ワシの知っているポピュラーソングや、何かの番組のテーマなど、様々だった。お客さんも、まだ固まっているワシの後方でニコニコ聴いていたのだと思うが、見えなかった。

 第何部まであったかは覚えていない。ともかく、弦楽四重奏で様々な事をやられる人達なのだと、ワシは理解した。すると、アンコールが始まった。クラシックなのに、何故か「あんこーる、あんこーる、あんこー…」と、なにやら妙な期待を込めた手拍子が沸き起こった。とりあえず、ワシも一緒にやってみた。海外では「We want more!」とか言うらしい。ちなみに「ENCORE」が頭に浮かんだ人、それは、BOOWYを演った人だけだろう。

 四人組が狭いステージに帰ってきた。肩を軽くふるわせて着席、リラックスモード。何が始まるのだろうと思った。

 それは、

 「ダッ ダッ ダー、ダッ ダッダ ダー」という、どこかで聴いた、どす黒いヴァイオリンの音だった。後方のお客さんが笑い出した。どこかで聴いたな、これ。学校で、誰かが弾いていた。俺たちゃモントレーに行ってしまったヒゲのおじさんはこの時代に何をやっていたのかわからんが、とにかく面白い事になってきた。

 正直に言います。すみません。本家より先に王様聴きました。ほんとに無知ですね。

 大盛り上がり大会が終わると、なにやら四人組が、にやっと笑ったように思えた。で、一瞬の間をおいて始まったのは、これを書いている無知野郎でも一応知っていた、「ハイウェイ・スター」だった。
 そしてあの、誰でも知ってるソロが始まった。第一と第二でツインリードまでやっちゃって。後方支援の人達、大爆笑。ワシも、首を傾げながら笑った。

 あらあら、いいんですか。そのボウ、高いんでしょ。ボウとか暴とか言えば、BOOWYのコンプの初回限定も高いですがリアルタイムで買いました。私ゃ死んでも売りませんよ。

 ボウの糸が一本、また一本と切れてゆく。あのソロ、ヴァイオリンで弾くんですか。ちなみにライトあんよ葛城さんことカツラGさんも、同じ事をヴァイオリンでやっていたそうです。これは知っていました。しかもピックでヴァイオリンであのソロですよ。あの人、元々はきちんとしたヴァイオリニストですよね。なんで今、STEINBERGERなんか持って、ホースを口に突っ込んでるんでしょうか。

 緊張の糸と何本の糸が切れたかわからん頃、拍手喝采が沸き起こり、スタンディング・オベーションとなった。目の前50cmで唖然としていたワシも、ここは立っておかないと後々不味いような気がしたのでぼんやり立ち上がり、茫然自失としながらパチパチパチロク、手を叩いていた。

 高速道路をネコが走るというのは、ベタなギャグにあった。あれは黒猫さんだが、この人達は一体なんなんだろうか。化け猫か、なめネコか。

 後日、その席の恐ろしさを知った。ワシは、とんだ化けネコ四人組にずっと化かされていたのだった。十代だったあの夜に出会った斎藤ネコさん。とあるアーティストのアルバムに入っていた「同じ夜」で再会するとは思いませんでした。

 それと、最後に白状します。不詳もとい不肖ワタクシ、リッチー・ブラックモアより先にリッチー・サンボラとリッチー・コッツェンを聴きました。いや、仲間達が「勉強しとけ」と押しつけました。誰に謝ったらよいものやらわかりませんが、とりあえず、ちさ子先生に謝っておきます。ごめんなさい。そしたら先生ワタクシメをヴァイオリンでは殴たないでね。高いんだから、それ。

 まだまだあった。
 クラシックギターを弾いていた当時、これまた目の前50cmぐらいで、荘村清志さんと中林淳眞さんの演奏を見て聴いた事がある。あの中林さんに花束まで渡してやんの、ワシ。何故か新潟の片田舎で何度も会った。で、楽屋であれこれお話した記憶がありますが、朝もはよからピーヒョロロ君にはクラシックの素養がないと思われたのか、ビミョーな笑顔でお話して下さいましたよね。覚えております。

 数年後に帰郷した折、忘年会か何かの場で、当時のサークルの人達と楽しくやっていた。その時は畠山先生が二曲千円の流しのギター状態で何でも歌謡曲を演っていた。ワシは、その場にあった直接の師匠のクラシック・ギターで、遙か昔、一瞬だけ京都で暮らしておられたワシの心の師匠、情・悟り兄ことJoe Satrianiの「Midnight」とか「Satch Boogie」の間奏とか「猫ふんじゃった」とかやっておりましたが、だーれも気づいちゃくれませんでしたね。これもまた、鮮明に記憶しております。

 スタンリー冗談兄さんに憧れては「Take Five」をクラシック一本で演り、ジェニファー“現在ベックの門下生”バトン姉さんに憧れて「第三の男と見せかけて帰ってきたヨッパライ」だの散々やったのに、だーれも気づいちゃくれませんでしたね。
 あらどうしましょ、気が付いたら学校にいた当時、ナイト・レンジャーの8フィンガーのお方に「右手の小指、鍛えとけ」と言われたりもしました。ギター科でもなんでもないくせに。

 そういや親日家のケントじゃなくてポール・ギルバート兄貴の「父ちゃん母ちゃん兄ちゃん姉ちゃん」…じゃない、アディクテッド・トゥ・なんちゃらとかいう曲も、イントロの3連とソロのタッピングだけ、ヘナチョコのイタチョコながら弾けるのに、ただのバッキングが出来ませんでした。
 スチュの「月光」は、途中までちゃんと弾けましたが、その先を知りませんでした。一体全体、何しにその学校いったんでしょうね。「TEEN TOWN」は仕事きっちり友だちのベース借りてタップオンリーで遊んでましたが、ブロンバーグは勘弁してください。

 まだまだまだあった。
 当時まだ安かったSTEINBERGERのGM-5T。うっかり応募してうっかり当たっちゃったギタマガの読者プレゼントでバルトリーニのピックアップを頂き、元々付いていたEMG-60のザグりと大きさが合わず、自分で自分のSTEINBERGERにノミと木槌でザグり入れました。よかったですGL買わなくて。ハードメイプル重いけど。

 で、開ければ開けるほど醜くなって行ったので、ククルロ先生に憧れていたのをいいことに文房具屋さんで、八百屋さんがよく使うようなプラスチックか塩化ビニールのクリップのついたバインダーみたいなやつ、たーんと買うてきて、それまたプラスチックカッターと紙ヤスリと小学校で無理矢理持たされて東京にまで持ってきちゃった彫刻刀その他諸々でピックガードこしらえて、散々改造しまくりました。

 今は、フロントにSAのリアに89。ピックガード付きGM-5Tククルロもどき、この世に一つのへんてこSTEINBERGERになってます。スタインなのにトグル付けるわこの男、近所のパーツショップでコンデンサもたーんと買うてきて、ほんとは明和電気さんが使うような、そっち系のツマミも買いまして、ちちんぷいぷいのほいと引っ張りゃなハイパスフィルターもこしらえました。ローインピーでのポットはPush-Pullしかなかったので御座います。

 さらにさらに12Pのミニスイッチと89、これまた泣きそうになりながらハンダづけして複雑怪奇な配線こしらえました。ギタマガの松原さん、毎号ご厄介になりました。ローリーさんのPU5個はインチキですが、僕のはちゃんと使えます。別の意味では御厄介になっております、マッキーのいとこ、寺西さん。SHIMA-CHANGも好きでした。

 そのパーツ屋に通って、ちゃんと自力でコンプ作りましたよ。でも、電池交換の蓋の開け閉め面倒くさくてその辺に転がってます。すみません。
 このSTEINGERGER GM-5T、PU2個で正味10通りの音が出ますが、B'z松本さんのスイッチング状態で、毎日楽しいですよ。ぜんぜん気にならないです。でも、あのGENESISのマイク・ラザフォードさんデザインのこのモデル、今買うと死ぬほど高いので、ノミ入れたりしちゃ絶対にいけませんよ、みなさん。小室センセーは別です。

 なのでなのでこの男、「Fが押さえられない」という人がどうしても信じられません。
 怖い物知らずとは、本当に怖いものですね。


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イエローキャブ=シュラプネル説


 このタイトルだけで用件が済んでしまった方もおられるだろう。
 今朝は短く終わるような気がする。念のために言うておくが、ワシはきちんと仕事もやりながら、合間をみてこれを書いておるぞ。Excel立ち上げ、分厚い資料本見ながらひたすらテンキー、あーでもなければこーでもない、家でもなければ外でもない、はーあ、チャカポコチャカポコ、と。

 単純労働だって、頭は使わんが、根気だけは死ぬほど要るんだぞ。一年中田植えして田植えして田植えして、また翌年も田植えして田植えして田植えするんだぞ。だから新潟、怖いんだぞ。
 頭脳労働は、染太郎さんにお願いしておこう。世の中なんでも、役割分担ってものがあるのだ。でもやっぱ、ギャラは違った。

 でだ。
 説明が大変なので、一切合切すっ飛ばして書く。
 解る人だけ解って頂けたら良いと思う。

 シュラプネル・レーベルの社長、マイク・バーニーは、
 「世界中の、超高速超ハイテク超バカテクギターキッズを発掘してくる」。
 イエローキャブの野田社長は、
 「日本中の、胸。胸胸胸を発掘してくる」。

 マイク・バーニーは、
 「曲なんかど〜ぅだっていいから、とにかくテク。
  ガッツンガッツンとアルバムを世に送り出す」。
 野田社長、
 「顔……も、まあ、一応大事だけど、とにかく胸。
  ガッツンガッツンと写真集を世に送り出す」。

 昔の友人が、こんな事を申しておった。
 「オレ、幅広いよ。メタリカからスレイヤーまで」

 ………それは、
 「嵐からタッキー&翼まで」だろ。

 世の中には、ビミョーに似ている人・似ている出来事が、数多の星の如く存在しておるものだ。


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OUR LANGUAGE


 ワシは東京に住んでから、もう長いこと経つ。郊外ではあるが、都心へだってそこそこの時間でたどり着けるので、そこそこな郊外だ。新宿も、一時期の職場があったので通っておった。

 いつだったかは覚えていないが、東京都内のJRのほぼ全ての駅の発車のベル音が、ある時不思議な音色に変わった。短音の牧歌的なメロディになったり、不思議な音が組み合わさった不思議な曲のようなものになったり。
 よくテレビで、高度経済成長の頃、旧国鉄時代の東京の混雑ぶりを表すため、白黒フィルムを流す事がある。それを見てワシが知った、ジリリリリリ………という、まさに「ベル」だったのが耳障りだから、きっとそういう音に変えたのだろうとしか思わなかった。

 一番印象に残っているのは渋谷駅の音だ。奇妙奇天烈摩訶不思議で、音を拾うのに苦労した。滅多に渋谷なんぞにゃ行かぬもので、たまに停車したところを狙って耳で拾った。音は手で拾うものではない。ゴミを拾うのならば手。拾ったゴミは、ゴミ箱へ。

 渋谷駅には1番線と2番線しかない。新宿駅には14番線まである。かといって14曲があるわけではない。路線とか方向が同じなら同じメロディだったり、そういう事情があるので正確にいくつかはわからないが、数多くのメロディがあるのだな、とワシは思って聞いていた。
 それにしても覚えやすい素朴な短音のメロディあり、やはり不思議な和音だけのがあり、ちょっとした曲みたいなものにしてはなんだか妙なものがあり。何を考えて、この音は作られたのか解らなかった。

 ある日、テレビか何かでその話が紹介されていたのをワシは見た記憶がある。あれは、
 「もし全ての音が一斉に鳴ったとしても絶対に濁らない音。すなわち不協和音にならないように組み立てて作られているメロディ」だというのだ。
 それぞれのホームは電車が出る直前にメロディを鳴らす。あれだけの数のホームがあるのだから、どれがいつ鳴るかなんてわからない。その仕事をJRから委託され請け負ったのが何処かの音を専門に作る(曲を作る、という意味ではない)会社だったそうだ。凄い人達がいるものだと驚いた。

 歌謡曲や大抵のジャンルは曲/歌だ。でも、これもまたメロディだし曲のようでもあり、ワシの記憶に残っていた。今もその音が流れ続けているかは知らない。後は余生につき若人の集いへは行く気にもならぬ。

 なので「はい、イントロですよ〜。はい、歌が始まりました〜。はい、一度展開します〜。はい、サビですよ〜盛り上がりましょう〜。はい、ギターソロで一休み〜。ギター好きな人は聞いてね〜。はい、またサビです〜。で、転調してもっと盛り上がって終わりで〜す。お疲れ様〜。フェードアウトー・・……」
 だけが「曲」ではないとワシは思った。そりゃあまあ小室さんのいつもの小室節は好きだし、それがなかったら小室節じゃないから、あの人は渋谷駅なメロディを作らないが、曲というものに形式なんてないのだと思った。

 このトシになって、まだまだ気づかされる事は沢山転がっておるのだ。毎日が勉強なわけである。曲の前には音があるのだ。音一つでも、何か出来るのだ。きっと。

 日本語ひとつ、漢字一つにも「おと」があるのである。民謡には抑揚があっても正確なメロディはない。それは西洋音階の五線紙では絶対に書き表せないという事である。時代によっても地方によっても、総てが異なる。それが日本の音楽、日本の音、日本語。日本文化。究極的には日本そのものなのだと思う。

 何処の愚民か知らないが「でつね」「しますた」「マターリ」「ワロス」「ガンガレ」「キボンヌ」「わしょーい」「漏前ら」「うp汁」「氏ね」等々、
 日本語を冒涜してはならぬ、と思う。


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タイム・マシーン


 ドラえもんは、練馬区にある平凡な一軒家、野比家、野比のび太くんの机の引き出しから、突然現れた。

 昔から、世界中の数多くのファンタジー小説家・SF作家・映画監督、様々な人たちが、色々な形で叶うはずのないタイム・マシーンを描き続けていた。藤子不二雄先生 = 藤本弘さん、我孫子素雄さんの二人は、僕たちに夢を見せてくれていた。

 全てが、あり得っこない設定だった。机の引き出しに飛び込むと、ぐにゃぐにゃに歪んだ時計の空間を抜ける。それは異次元への扉。国境の長いトンネル。
 SFファンタジーの物は、わざと仰々しい、とてつもなく大きなUFOのようであった。

「マシーン」=機械。
 それらは全てフェイクであり、僕たちを優しくだましてくれていたのだった。

 タイムマシンは全ての人の心にある。
 それは何か。

「昨日の朝、何食べたっけ?」
「昔、テレビであんなコマーシャルが流れていたなぁ」
「そういえば幼稚園の頃、あいつと散々喧嘩したっけ」

「明日は給料日なんだし、折角だから美味しい物でも食べようか」
「自分は将来、どんな人と出会って、どんな恋愛をし、どんな結婚をするのだろうか」
「そして、いつ、どうやって死を迎えるのだろうか」

 記憶を遡ることも、未来を考える事も、

 タイム・トリップ。

 そうだった。

 タイム・リープと言えば、それは時をかけるあの少女だ。

 僕たちが物理的に時空を超える事は、おそらく不可能だ。でも、イマジネーション=想像力さえあれば、タイムトラベルは可能なのだ。立派なタイム・マシーンを、僕たちは心の中に持っている。

 僕がギタリストとして愛してやまないJoe Satriani。あの人も「TIME MACHINE」というアルバムを世に送り出している。そのジャケットと中のジャケットでSatrianiは、とてもかしこまった紳士的な姿で、いつものシルバーに輝くギターを片手に、ドラえもんと同じ「歪んだ時計」の中を颯爽と駆けていた。

 それが、タイム・マシーンなのだ。


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