世にもビミョーな物語 4頁 No. 031〜040

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  1. 文才ってなんだろう 2000/12/31
  2. 門前の所長、習わぬピアノを弾く 2001/01/09
  3. 霊界チャンネル 2001/01/16
  4. 紅白歌合戦の裏で 2001/01/24
  5. 轢死(れきし)への招待 2001/02/07
  6. まぼろしの270万円 2001/02/16
  7. シンセサイザーと個性 2001/02/26
  8. 日本花粉党 2001/03/08
  9. 黒い奴のスープ 2001/03/20
  10. グロテスクな昼食 2001/03/31

文才ってなんだろう


 忘れようとしても、どうにも忘れられない文章がある。

 長いようで短かった中学生活も終わりを迎えようという頃、お約束の卒業文集を書くことになった。もう、どいつもこいつもくだらん修学旅行の事だとか変な詩みたいなものだとか、ここぞとばかりにウケを狙ってみたりとか。ワシの文章も含めて平々凡々な文集になってしまった。

 だが、その中で一点、光り輝く作品があった。それは、山口武(=やまぐちたけし:仮名)君という友達が書いた「さんねんかんのおもいで」という文章。タイトルが平仮名であるのが奇妙だが、なんと彼の文章は、タイトルのみならず本文まで全て平仮名なのだ。

 とにかく、この面白さをご理解いただくのは非常に困難であると考えた末、原文の新潟弁と標準語を併記する事にした。それぞれを読み比べていただきたい。


さんねんかんのおもいで
やまぐちたけし 
三年間の思い出
山口 武 
 ぼくのさんねんかんのおもいでは、たかひろくんと、とりをくったこと。  僕の三年間の思い出は、高広(=武君の友達:仮名)君と、鳥を食べた事。
 ぼくとたかひろくんで、○○○からにひゃくえんのとりこうてきて、くびねっこひっこぬいでころしてしょもた。  僕と高広君で、○○○(=地名)から二百円の鳥を買ってきて、首根っこを引っこ抜いて、殺してしまった。
 たかひろくんはぼくに、「かわでおよいでれ。」といった。ぼくはたかひろくんにいわれたとおりにおよぐことにした。  高広君は僕に、「川で泳いでろ」と言った。僕は高広君に言われた通りに泳ぐことにした。
 ふときがつくと、ちなまぐさいにおいがただよっていた。ぼくは、おそるおそるめをみはった。なんとたかひろくんがみごとなほうちょうさばきでとりをりょうりしているではないか。  ふと気が付くと、血なまぐさい匂いが漂っていた。僕は、恐る恐る目を見張った。なんと高広君が見事な包丁さばきで鳥を料理しているではないか。
 「たかひろ、ばかじょうずだな。」とぼくがいうと、たかひろくんは「へへへへへへへへへへ。」とわらった。あわせてぼくが「はははははははははは。」とわらった。  「高広、すごく上手だな。」と僕が言うと、高広君は「へへへへへへへへへへ。」と笑った。あわせて僕が「はははははははははは。」と笑った。
 そんで、とりやいだっけやこげだらけ。がまんしてくえばしおわすれてあじがしない。たまごは、おとしてまっくろ。なんにもくえねかった。(おわり)  それで、鳥を焼いたら焦げだらけ。我慢して食べたら塩を忘れて味がしない。卵は、落として真っ黒。なんにも食べられなかった。(終わり)

 うーむ、すごい文章構成能力だ。自らの体験を、余すところなく的確に表現している。バリバリの新潟弁と、ある種の犯行声明文とも取れる全ての平仮名が、独自の世界観を確立している。ワシの知り合いのプロの物書きにもこの文章を読ませたのだが、「狙って書けるものではない」と絶賛していた。

 ワシもこの春からコラムを書き始め、はや30本にもなるが、いつも悩みながら書いている。どうやったら面白くなるかとか、どうやったら読み応えのあるものが出来るかとか、変に考えてばかりいる。
 だが、たけし君の文章を思い返すたびに、ワシの価値観は根底から覆されるのだ。一体、文才ってなんなのだろう。教えてくれないか、たけし君。


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門前の所長、習わぬピアノを弾く


 ワシは、一度もピアノを習った事がない。オリジナル曲を掲載している「棚からわしづかみ」も、シンセやピアノを実際に弾いてレコーディングしている。人間、努力すればなんとかなるものだ。

 ワシがピアノに出会ったのは、中学1年の時。ブラスバンドに在籍していたワシは、音楽室にあるピアノでいつも遊んでいた。当時流行っていたファミコンのゲームの音楽などを、一本指でちまちまと弾いては友達と盛り上がっていた。

すると時が経つにつれ、一本指だったのが片手となり、そのうち右手と左手一本指、そして両手という風に、少しずつではあるが進歩してきた。そうしてワシは、ピアノの魅力にとりつかれていった。

 だが、所詮は素人の遊びだ。たいした曲が弾けるでなし。クラシックピアノを長年習っていたワシの姉などには到底、及びもしなかった。

 そんなワシに転機が訪れる。2年生になった年、音楽の先生が替わったのだ。仮にM先生とする。先生は変わり者で、音楽教師のくせしてピアノがやたらに下手だった。どうもピアノを習っていなかったらしい(よく音楽教諭になれたものだ)。

 ある日の放課後、ワシはいつものようにブラスバンドのパート練習をサボって、ピアノで遊んでいた。すると吹奏楽部の顧問でもあるM先生が「合唱の伴奏してみないか?」と言ってきたのだ。

 冗談だろ…と思った。伴奏などというものは、ピアノを習っている人間がやって当然という思いがあったからだ。でも、M先生は本気だった。自ら譜面を書いてきて、一生懸命にワシを指導してくれた。

 その時の楽譜は今も持っているが、これが当時のワシにとっては冗談じゃないほど難しいものであった。素人なのだから難しくて当たり前だ。右手があっちへ飛び、こっちへ飛び。おまけにワシは楽譜を読むのが苦手だった。苦手なのは今も変わっていないが、ヘ音記号が全然読めなかった。こんなんで秋の文化祭に間に合うのだろうか?と、ワシは不安になった。

 それから、ワシの闘いが始まった。家に帰ると姉のピアノに向かい、メトロノームのテンポを思いっきり下げて、ゆっくり、とにかくゆっくりからスタート。しかし、何度やってもどこかで詰まってしまう。何日経っても上手く弾くことが出来ない。
 それでも諦めの悪い性格が役に立ち、くじける事はなかった。譜面を読みながらの演奏がダメでも曲の全てを暗譜する事で、目と手は鍵盤に集中出来るようになった。

 もう一つ、その練習の精神的支えになったのは、きちんとピアノを習っている人間に対しての反抗・反発だった。本当の事を申せば、ワシは小学生の頃、ピアノを習いたかった。だが、納得の行かない理由で習わせてもらえなかった。なので、ピアノをきちんと習っていて伴奏でも何でも朝飯前な人間は、我流のワシからすれば敵のような存在だった。

 ワシは、学校の中に数名存在するピアノのお利口さんに対して「へぇー、あんたはピアノを習わせてもらってるんだね。いいねー。それなら難しい曲の難しい譜面だってすらすら読めて弾けるよねー。ほんとに良かったねー、ケッ」と、思いながら意地になって練習していた。

 そんな意地っ張りも夏を迎える頃になると、どうにか一曲通して弾けるようになった。自分のピアノにクラス全員の歌が乗るというのは大変に気持ちがよいものだ。苦しみが喜びに変わる瞬間であった。

 さて、文化祭当日。ワシは緊張で吐きそうになりながら、体育館ステージのピアノに向かった。正直言って自分がどんな演奏をしたのか全然覚えていない。それくらい緊張していた。無我夢中で伴奏をつとめ、結果、ワシのクラスが校内の合唱コンクールで優勝してしまった。ワシは、図に乗った。

 それから十数年。まさか音楽でメシを食う日が来ようとは。最終的には一日18時間労働のような生活で身体がギブアップ。音楽の仕事は一年も持たずに辞めてしまったが、本気で願えば夢は叶うのだという事を身をもって知った。

 期間は短かったが、様々な音楽の形を作り手として見聞きする事や、レコーディングやミキシング・HDRでの編集など、人が少ないが故に多くの作業を兼務する事が出来たのは貴重な経験であったと思う。

 他にもCDのライナーノーツや帯のコピー、CDショップの店頭に積まれている「今月の新譜」のような物の原稿をちょびっと書いたり、歌詞書いたり、テレビの世界での音楽に携わったり。
 そのような“お金を払っても体験できない事柄”は、ほんの僅かでも、やったかやらないかで天と地ほどの差があると思った。このきっかけを作ってくれたM先生には、本当に感謝している。マドンナの捨て台詞ではないが、「ユメワ、カナイマス」なのだ。


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霊界チャンネル


 またしても、ワシの勝手な提案である。
 ワシは、怖い話が大好きだ。以前、このコラムでも怪談話を書いたように(「怪談の季節ですね」2000/08/07)、恐怖ものの本やテレビ番組があれば、好んで読んだり観たりする。

 最近は、様々な衛星放送やケーブルテレビの普及で、我々が観ることの出来るチャンネルは格段に増えている。それゆえに「こんな番組、どこの誰が観るんだろう…?」というような物も、かなりあると思う。一日中ずっと音楽や通信販売やニュースを流しているのならまだしも、偏った趣味趣向になると、視聴者は限定されてくるのではなかろうか。

 そこで。どうせ視聴者が限定されるのなら、一日中ひたすら怖い番組をやって欲しいと思う。あっ!今笑ったそこのあなた。ワシは冗談で言っておるのではないぞ。これ(怖いもの)というのは、潜在的な需要は意外とあるのではないかとワシは考えているのだが。

 仮に「霊界チャンネル」という放送局を作るとする。プロデューサーは、もちろん丹波哲郎。…あ、だめだ。丹波センセーのお話は、長いだけで全然怖くもなんともない。ここはひとつ、稲川淳二で行ってみよう。

「想定:霊界チャンネルの一日」

 まずは朝イチで、青山墓地に、 ズーム・イン!!

 BGMは、悲壮感漂うものがいいな。八時半までずーっと、全国各地の心霊スポットを生中継で繋いでいく。よし、これで行こう。その次はワイドショーが欲しいところなので、青森のイタコさんの口寄せで、死んでしまった芸能人に心ゆくまで語ってもらう。
 時折入る通信販売では、わら人形+五寸釘+木づち+ロウソク+五徳(ロウソクをつけ、頭に載せるため)+下駄+白装束、豪華7点セット4,980円でのご奉仕。

 お昼のニュース?そんなものはいらん。「投稿・特ホウ!心霊写真!」とかが観たいとこだ。内容は、全国のマニアから送られてきた心霊写真を鑑定、観賞、供養するもの。お昼をすぎたら「ぶらり霊界の旅」。キャスティングは桜金造あたりが無難か。「えー、今日は、神奈川県にある小坪トンネルに来ております。いや〜、なかなかおもむきがあって…」とかなんとかやってもらおう。

 夜のニュースもいらん。代わりに、稲川さんに百物語をたっぷりと深夜まで語っていただく。真夜中は、またしても通販。今度は「何を撮影しても、人の顔がそれとなーく映り込むカメラ。今なら、いつでもどこでもこっくりさんが楽しめる特製シート付き」。よっしゃ、これで心霊ファンのハートをがっちりキャーッチ!!

 他にも視聴者の好みに応じて、ホラーあり・オカルトあり・怪奇現象あり、バラエティに富んだ内容を24時間お届けする霊界チャンネル。ああ〜、いいなぁ。加入したいなあ。でも、バチ当たらんといいけど。なーむー。


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紅白歌合戦の裏で


 昨年のNHK紅白歌合戦で、とある問題が起きていた。あの番組は秋ごろになると、誰が出場するのかが決まるらしいのだが、問題はaikoであった。ヒットシングル「ボーイフレンド」が、NHKとして放送できないのだという。それは何故か。
 同曲のサビ部分で出てくる、
 「テトラポット登って てっぺん先にらんで」の“テトラポット”が、実は商品名であったのだ。

 かなりよく知られている事実であるが、公共放送であるNHKでは、民間企業が販売している商品の具体的な名称や、商標登録されている名詞などは基本的に流さない(流せない?)事になっている。ドキュメンタリーなどは別だが、それ以外の番組では、商標登録されている物は名称を隠す形で放送している。例えば、もはや一般化している“ファミコン”も、NHKでは“家庭用ゲーム機”と呼んでいる。

 話が戻る。“テトラポット”は、フランスのネールピック社が開発した商品名で、正しくは“テトラポッド”と呼ぶ。そして、aikoの所属するポニーキャニオンでは、曲を発売するにあたり各メディアにプロモーション用として楽曲を配布していたのだが、NHKからは「テトラポットという歌詞のままでは放送できません」と通告されてしまったという。
 だが、当然アーティスト側では納得がいかない。歌詞を変えるというのは、自らの楽曲を否定する事であるからだ。
 そして、レコード会社とNHKの両者で交渉が行われた模様で、結果、同曲は晴れて紅白の舞台で歌われる事となった。

 「ボーイフレンド」はOKが出たわけだが、過去にも有名な曲がNHKで流せなかったり、引っかかってしまったケースがある。例を挙げると、かぐや姫の「神田川」がそうであった。「なんで神田川が?」と思われた方もあろうが、あの歌に「二十四色のクレパス買って」という歌詞が含まれている。この“クレパス”も、実は商品名なのだ。

 NHK側から「二十四色の“クレヨン”ならオッケーよ♪」というお達しがあったと聞くが、言葉の一つ一つが商標登録なのかどうかなど関係なく人々に支持されている楽曲に対して、そこまで杓子定規にせんでもよかろうに、と思う。

 もう少し有名な事例だと、山口百恵の「プレイバックPart II」の「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」など。この場合、“ポルシェ”は“車”と変更を余儀なくされ、なんともおかしな歌になってしまったが。

 そういえば椎名林檎の曲は、かなりNHK的にヤバそうなものばかりだ。例えば「マーシャルの匂い」「グレッチで殴(ぶ)って」「レスポールは絶対黒」「ラット1つを」などは、おそらくNGであろう(マーシャルはアンプの代名詞とも呼べるメーカー名であり商品名。グレッチとレスポールはギターの名称や制作者の名前。ラットは主にギターの音色を歪ませるエフェクター)。あと「ジッポの油」もだめだ。“ZIPPO”は米国Zippo Manufacturing Companyの商標なのである。

 うーむ。NHKに出るのにも、様々な障害があるものだ。まあ、ワシにはまるっきり縁のない世界であるがな。皆様もお手持ちのCDで、NHKの禁句を探してみてはいかがだろうか。なかなか楽しめるかも知れない。


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轢死(れきし)への招待


 以前、このコラムで、鉄道関係の話を述べたが(「クールだぜ。」2000/5/17 参照のこと)。つい最近、わけあって現役の某鉄道会社職員の方から、数々の苦労話を聞く事ができたので、ご紹介したい。

 電車にまつわる噂で、昔からあるものが「昔、東京の地下鉄で、運転手が運転中に便意をもよおしてしまい、どうしようもないので窓からお尻をだして排便、そのまま勢い余って転げ落ち、死亡した」というものだ。ワシもこの話は半信半疑で聞いていて、まさかそんな出来すぎた話があるのか? と思っていたのだが、これは本当に起きた事件だったのだそうだ。が、正しくは、死亡したのは運転手ではなくて、車掌さんだったとか。

 それから、駅のホームで運転手さんや車掌さんが、敬礼とともに交代する場面を見たことのある方はいらっしゃるだろうか。その時、手に何か黒いカバンを持っていたはずなのだが、それに気づいた人は……鉄っちゃんだけかも知れないが。その黒いカバン、鉄道員なのだから様々な業務に必要な道具が入っていると思われがちだが、その中に意外なものが入っている。黒いビニール袋だ。

 運転手や車掌は職務上、トイレに行きたくなったからといって現場を離れるわけにはいかないし、離れられない。当然、交代の時間が来るまで我慢を余儀なくされる。が、それでも間に合わなかった場合どうするか。…黒いビニール袋の出番なのだ。その袋は「簡易式トイレ」なのである。ワシもそれを聞かされた時は、鉄道員というのは並々ならぬ苦労があるものだなあ、と思った。

 あと「クールだぜ。」では、JRの鉄道自殺に対する処理の速さ、あっけなさを書いたが、昔の旧国鉄時代は、もっとすごいことが行われていたとか。

 例えば、飛び込み自殺があったとする。昔はその都度、警察の現場検証などが行われていたので、そう簡単に運転を再開するわけにはいかなかった。現場検証は下手をすれば1時間以上にも及ぶので、朝夕のラッシュ時には多大なる迷惑がかかる。そこで駅員はどうするか。

 飛び込んだ人間は、どう見ても完全に死んでいて頭が真っ二つだったりする。が、それでも遺体を担架に乗せて、あたかもまだ息があるがごとく「お客さん!大丈夫ですか!?お客さん!!」と声をかけながら駅まで運ぶのだ。そうすれば、まだ死んでいない事になっている(怪我をしている状態という事)ので、警察の現場検証も一旦はまぬがれ、運行を再開できる。聞けば聞くほどリアルで寒気がするような話だが、それが現実だったのだそうだ。恐ろしや、恐ろしや。

 …というわけで、駅員さんは電車一本走らせるにも、様々な苦労を背負っている。ただ機械的を作業をこなしているわけではないのだ。だから、例え帰り道にいきなり飛び込み自殺があっても、駅員さんを責めるような事はしないで欲しいと思う。ひたすら頭を下げて詫びる人に怒鳴ってみても、運行再開が早まる訳ではないのだから。

 今回のコラムは、やや生々しい内容になってしまったが、他にも鉄道関連のおかしな話はいくつかあるので、機会をみて紹介したい。それでは、また。


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まぼろしの270万円


 2000年9月20日早朝、なんともおめでたい夢を見た。宝くじで、一等4,000万円が当たるという夢だった。だが、やはりワシは小心者の小市民なのか、当たったといって喜ぶのではなく、「ウソだろう!?」という思いで、買った宝くじと新聞を必死に見比べている…というところで目が覚めた。当選番号は“3894”だった。
 起きあがって、夢を思い出してみる。なんだかやけにリアルな夢であった事が、気になった。気になるといえば、一等4,000万円の当選番号が、たったの4桁というのも変な話だ。

 4桁の宝くじ…か…。ある!そうだ、ナンバーズ4だ!
 実はワシ、ナンバーズというものは一度も買った事がなく、どうやって買えばよいものかも解らなかった。まさかなあ、とは思ったのだが、やはり気がかり。朝からあわててインターネットで検索し、ナンバーズの買い方を覚えた。

 そして出勤。職場の最寄り駅から少し歩いたところに、第一勧銀の宝くじ売り場がある。まさか、そんなうまい話があるわけはない…と思いながらも、ワシは一分の望みをかけて“3894”を、ストレート(確率は低いが当選金額は高い)で買った。それも、ワシは欲が深いので3口も買った。

 さて、その夜。当選番号のテレフォンサービスを聞いたワシは仰天した。当選番号は“9894”だったのだ。まぁ、その場は偶然だろうという思いであきらめた。やはり夢は所詮、夢だったのか…。

 ところが。
 次回、9月22日の当選番号は“2794”であった。
 さらに続く。一回間をおいて、9月27日の当選番号は“2894”だった。まるっきり違う番号が来れば潔くあきらめもつくのだが、ここまで近い番号が立て続けに続くと、本当に悔しい。やはりあれは、正夢だったのだろうか?

 ナンバーズ4、ストレートの当選では、平均して90万円前後の金額がもらえる。もしあの時“9894”を買っていれば…。歴史に「たら」と「れば」は禁句だが、本当に悔しかった。ああ、ワシの270万円。

 今後もワシは、最初に夢で見た“3894”を買い続けるだろう。週に一回、一口200円。ジュースやスナックを買ったと思えば安いものだ。絶対、絶対にいつかリベンジしてやる。
 皆さん“3894”を買わないで下さい。お願いです。もしもみんなが買って、それが当たってしまったら、当選金額が減ってしまうので……とか言って当たるほど世の中甘くないのだが。畜生ッ…。


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シンセサイザーと個性


 こんな事を書くと、またしても「年寄りの戯言(たわごと)」だとか言われそうだが、敢えて書かせて頂く。
 最近のシンセサイザーは、ちっとも面白くない。20万円あたりから上の高いものは別だが、俗に言う「DTM(デスク・トップ・ミュージック。この言葉がワシは大嫌いである)」用のシンセは、大変につまらない。個性に欠けるのだ。

 その昔、80年代のシンセサイザー業界は活気に満ちあふれていた。ちょうど、アナログとデジタルが混じり合ったカオスの時代であった。流れとしては、まずムーグだとかオーバーハイム等の海外ブランド(アナログが主体)があり、日本においてはヤマハ、ローランド、コルグ、カシオ等が、アナログとデジタルを掛け合わせた新しい音を生み出そうとしていた。

 洋ものは、正直言ってワシもあまり詳しくないので(高級であったが故に、接する機会に恵まれなかった)、国内ブランドについて書く。
 80年代中期の、国内各社の、主立った特徴を挙げる。※あくまでワシの主観なので、念のため。

「ヤマハ」
 音抜けが良い。が、中低域がやや薄い。だいたいどんな音を選んでも、それなりに使える。
「ローランド」
 ヤマハ同様、音抜け・キレが良い。が、ピアノ等が独特の硬さを持つ。全体的に冷たい。
「コルグ」
 華やかで暖かさが感じられる。良くも悪くもクセのある音が多く、すごく使えたり、使えなかったりする。

 ワシは昔、ヤマハが一番好きだった。特に惹かれたのが、DX-7というシンセサイザーであった。これは名機として語り継がれ、今でも熱狂的なファンがいることで知られるシンセだ。このDXの金属系の音色には大変に特徴があり、ワシの場合、どんなところ(町中やコンビニなど)でも、聞こえたら一発でそれと気づく。

 今でも確実にDXの音色が聞けるのは、何故かファミリーマート(OIOIでも聴いた事がある)。店内に流れているファミリーマート向けのラジオ放送だ。毎時0分になると、「ただいま、午前(午後)、○時です」というアナウンスが流れるが、それのバックで聞こえるチャイムがDXなのだ。
 もっと簡単に言ってしまうと、バンド・エイドの「DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS?」で聞こえてくる鐘の音が、DXそのものである。「そう言われれば…」と、気づかれた方もあろう。

 今、楽器屋に行くと、5万円から10万円クラスのシンセサイザーが、数多く並んでいる。が、どれを買っても似たような音しか出ない。“出ない”というか“出せない”のだが。かつて個性を競い合っていたはずの各社が、自分のところの欠点をおぎなっておぎなって、おぎないまくった結果“長所ばかりなのが欠点”という、何ともわけのわからん事になったのだ。

 今日のシンセサイザーの流れとしては、自分で音色を作る事よりも、数多くの音色からいいものを選んで組み立てる作業の方に重点が置かれている。このあたりが、ギタリストとキーボーディストの一番の違いなのだが、それについて語ると長くなるので、今回はやめておく。

 ワシは、安くて変わった音が出せる、もしくは“作れる”シンセサイザーが欲しい。10万円以内で。しかも、一台ごとに出る音が違うのとか(←これは極論だが、ワシなら買う)。隣の家のペットと自分の家のペットが、神経細胞レベルまで一緒だったらつまらないではないか。個性が違えば、また愛着も深まるというものだ。そういう「命の吹き込まれた楽器」が、ワシは欲しいと考える。


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日本花粉党


 また今年も、憂鬱な季節がやって来た。花粉症のシーズンである。こればっかりは、眼鏡をかけてもマスクをしても、はたまた薬を飲んでみても、ダメな時はダメだ。目のかゆみとくしゃみ、鼻水が絶え間なく続き、不快きわまりない。

 で。思ったのだが、花粉症の患者が集まって政党を作ったら、さぞや結束の固いものになるのではなかろうか。同病、相哀(あいあわ)れむという言葉もあるのだし。労働組合や新興宗教なんかよりも強固な組織が出来そうな気がする。

 日本全国の花粉症の患者が一致団結、「日本花粉党」なるものを作ったとする。入党資格は勿論、花粉症であること。ただそれのみ。この人々は、毎年二月を迎えるころ、総決起集会を開き、一年がスタートする。とりあえず、「日本のー、杉をー、伐採せよ〜!」「ばっ さぃ せよぉ〜!」と、国会周辺でのろしを上げてみたりなんかして。

 なんせ、日本は花粉症の大国である。花粉党を敵に回したら怖いぞ。悪口なんか言おうものなら、「泣く子はいねぇがぁ〜!(なんか違う)」と、町中の花粉症のみなさんが大挙してやってくる。闘え、花粉党! 平和な日本を創るために! この場合「平和」とは、日本から花粉アレルギーがなくなる事である。

 …でも。
 花粉とひとくちに言っても様々な種類がある。春の花粉は何ともなくても、秋にはひどい目に遭う人だって沢山いるだろう。すると組織は細分化され、いつしか「花粉共闘」、「革スギ同」、「ブタクサ連」、「全ヒノキ」などという派閥が生まれたりなんかしちゃって。いかんな。全然平和じゃない。

 平和じゃないと言えば、今、すごーく怖い事を想像してしまった。花粉党から寝返ったあくどい奴が、いきなり都心で花粉を大量に空中散布したらどうしよう。前代未聞の「花粉テロ」である。まさか死人は出ないだろうが、花粉症の患者にとって、これはものすごい恐怖だ。シャレにならん。

 「えー、ただいま入りました情報です。東京○○区の研究所から、スギ花粉30kgが盗まれました。犯人は逃走中、現在、警察では行方を追っています」
 こんなニュースもいやだなあ。あ、考えたら、花粉さえ入手できれば、一年中いつだってテロを起こす事が可能なのだ。恐ろしや…。でも、ただ花粉を持っているだけでは罪には問われないし。うーむ。ここはひとつ花粉党に頑張ってもらって、「花粉症対策法案」とか作ってもらうしかないか。

 なんだか、だんだんスケールの大きな話になってきたが。ともかく、花粉症の皆さん、我々の明るい未来に向けて、共に闘おうではありませんか。えい、えい…ヘーックション!


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黒い奴のスープ


 あれは確か、1993年の冬の朝。ワシはいつものように家を出て、駅前にあるマクドナルドに入った。とりあえず、朝のなんちゃらセットをオーダーする。当時、ワシはいつも、ドリンクはコーンポタージュと決めていた。

 出勤前のひととき。ふぅとため息をつき、温かなスープを口に……口に………出来なかった。ポタージュの蓋を開けると、そこには黒いものが浮いていた。奴は、もう息絶えていた。長い触角、黒光りする背中。かなりの大物だった。

 ワシはカウンターへ戻り、そのカップを店員のお姉ちゃんに見せ、「あのー、これ。」と指をさした。
 お姉ちゃんの顔色が、一瞬にして真っ青になった。「申し訳ありません!」すぐに、マネージャーと店長らしき男性が現れた。「代金はお返しいたしますので…」と、平身低頭、すまなそうに店長。それは当然だろうと思ったが、すかさず、お姉ちゃんの一言が。

 「すぐに、代わりをお持ちします!!!」

 えっ!?“代わり”って、またコーンポタージュが来るって事じゃないか。
 40と何億年も生きている奴のこと。もし、スープをカップにそそぐ段階で入り込んだなら、まだ息があったはずだ。それが完全にくたばっていたという事は、だいぶ前からスープのタンクの中に入っていたのではないか? 冗談じゃない。奴のエキスたっぷりのスープを飲めというのか。
 今でも悔やまれるのが、出勤前で時間がなかったっため、ああだこうだと文句を言えなかったことだ。結局その場は、なんだか巧く丸め込まれてしまった。

 「代わり」の、朝のなんちゃらセットを手に、ワシはむかっ腹を立てていた。保健所だってまだ開いてない。仕方なく、ワシはお店のナプキンに、持っていたボールペンで、大きく「バカ野郎!!」と書いて、店を出た。

 もう二度と行くもんか、マクドナルド。「♪おいしい笑顔〜」とか歌ってる場合じゃないぞ。今日もどこかで、奴のスープが売られているかも知れないのに。そう、あなたの近くでも……。


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グロテスクな昼食


 への1号の部屋をお読みいただいていると解るのだが、ワシは腰痛持ちである。それも、かなりのベテランだ。が、今回のコラムは、ワシの苦しさを訴えたいとか、そういうものではない。腰痛にまつわる、ちょっと気色悪い話だ。

 ワシの生まれた新潟のとある街には、大病院というものがない。故に、何か身体にやっかいな問題が起こると、少々離れた土地にある大きな病院へ行く事になる。通院は、たいてい母上の車であったが、時には父上が運転して行く事もあった。
 父上は、病院での診察が終わると、時折、病院近くにある馴染みの洋食屋へ連れて行ってくれた。洋食屋と言っても、これが本当に美味い。値段も張るが、それだけの味がする。特に、ここの牛テール(尻尾)が絶品であった。味オンチのワシでも「隠れた名店」と思える店だった。

 しかし。ワシが通っているのは整形外科だ。しかも腰痛・背痛の治療である。待合室には骨粗鬆症などの数々のポスターが張ってある。背骨の構造を模した図であるとか、中には実際の解剖写真などもあり、見ていても相当に気持ち悪い。

 その後で、牛テールを食べるのだ。テール(尻尾)とは背骨の延長である。熱く焼かれたステーキ皿に、テールのかたまりが載せられてくる。それを、ナイフとフォークで崩しながら食べるのだが、中から現れるのは……もう、背骨そのものなのだ。はっきり言ってエグい。どうしても、さっき見たばかりの背骨の図や、自分のレントゲン写真が頭の中をぐるぐると回る。ワシはいつも複雑な気持ちで、牛テールを食べていた。

 同様に、以前このコラムでも書いた、大腸の内視鏡検査(「病院だよおっ母さん」2000/10/19)を受けてからは、どうもホルモン焼きが食べられなくなってしまった。タン塩などならまだしも、管(くだ)状の物を見ると、内視鏡で見た、あの内臓を思い出してしまう。共食い、共食い、共食い…と。

 以前、ある本で読んだのだが、外科医のタマゴの学生は、やはり最初は実習中に吐いてしまったりするのだそうだ。だが、そのうち遺体解剖の後でハンバーグが食べられるようになるのだとか。慣れとは恐ろしいものだ。ワシは、とてもじゃないがそんな神経の持ち主ではない。最初から、ごめんなさいである。まあ、医者を目指そうなどとは思っとらんので関係ないが。

 この手の、エグい系の話にはいくつかの続編が控えているので、今後にご期待を。では、また次回。


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